SARTORIA CORCOS 宮平康太郎 Vol.3
2019.07.22
僕の想像の遙か上をいく服を仕立てた
サルトリア コルコスの宮平康太郎③
フィレンツェのサルトリア コルコスの宮平康太郎氏。
「どんな生地がいいんだ? ネイビーか? ストライプか? モヘアか?」
ナポリのサルトリアで服を仕立てるとなったとき、まずこう直球の質問が飛んでくる。当たり前だろと言われればそうなんだけれど、彼らは即答を求める雰囲気をビンビン出してくるところが厄介だ。窮して「秋冬のネイビーストライプ」とか答えると、矢継ぎ早にいくつかのネイビーストライプを提案してくれるのだが、残念なことになかなかピンとくるものがない。オーダーの醍醐味である生地選びでは、サルトリア側が主導権を握って素晴らしい生地との出逢いへと導いてもらえると最高なのだが、そんな淡い期待はナポリでは打ち砕かれることがほとんどだ。高い技術をもつサルトが必ずしも素晴らしい生地提案をしてくれるとは限らないってことを思い知らされる。
圧巻の生地ストックを誇るルビナッチや、数こそかなわないものの生唾ゴックン度では負けていないアントニオ・パニコは別格として、ナポリでは名のとおったサルトリアでも、自慢できる生地コレクションをもっているところはホントに少ない。ローカルなサルトリアに至ってはイタリアの中堅どころのバンチを申し訳程度に置いているのがせいぜいである。そこには大抵、製作中のネイビーブルーのホップサック地のジャケットが壁にかかっていて、仕立てるとなったら“ナポリあるある”ってやつで、彼らは決まって同じようなホップサックをすすめてくるもんだから、おかげで僕は一時期ホップサック恐怖症になってしまったほどだ。裏を返せば、ホップサックはとってもナポリらしい生地なのかもしれないが……。
キアイア通り149番にあるルビナッチのナポリ本店。店のいちばん奥がス ミズーラのコーナーになっており、生地棚には垂涎ものの生地がずらり。このほか地下にも膨大な生地が眠っている。
ナポリの魚介系リストランテでの白ワイン選びの際、フィアーノ、グレコ、ファランギーナ、ビアンコレッラ、カタラネスカ(ヴェズーヴィオ山の中腹、モンテ ソンマの僅かな畑でしか獲れないカタラネスカ種は大のお気に入りだ)といった豊富な選択肢の中から、料理との最高のアッビナメントを楽しむべくソムリエに手伝ってもらうように、サルトにも自分のところの仕立てと最高に相性がいい生地を提案してもらいたいのだが、なかなかそううまくはいかないのだ(そう考えると、マリアーノ・ルビナッチ氏がいるルビナッチは理想的だ)。
下町的な感覚で言えば、「ウチのマンマが作る50年作り続けているパスタ エ パターテは世界一よ」とか、「今日のスパゲッティ アッレ ヴォンゴレはアサリの身が大きくてプリプリよ」とか、「オイラのジェノヴェーゼはナポリで一番!」とか、「今日は最高のスパゲッティ アッラ ネラーノがあるよ!」と、繁盛系トラットリアの自慢料理よろしく、サルトにも自信アリの生地を出してもらいたいのである。
ナポリのニコーテラ通りにあるオステリア デッラ マットネッラのジェノヴェーゼ。ナポリのジェノヴェーゼはバジルペーストではなく、玉ネギとほほ肉と白ワインをじっくり煮込んだソースによるもの。
ナポリのトリエステ&トレント広場からナルドネス通りを入ってすぐにあるトラットリア サンフェルディナンドのパスタ エ パターテ。
ナポリ人は、「今晩は魚介が食べたい? それともナポリ料理?」と聞いてくるが、僕は重たいナポリ料理が大好きで、上のジェノヴェーゼもそうだが、特にこちらのパスタ エ パターテが大好物。
先ほどちらりと触れたように、ナポリではルビナッチとアントニオ・パニコはいろいろな意味で別格だと思っている。パニコ師匠のもとにはこれまで何十回と訪れていて(仕立てた数は僅かだけれど、マエストロから話を伺うのが好きなのだ)、マエストロの口癖や吸っているスーパースリム煙草の銘柄まで覚えているが、マエストロを前にすると今でもピリリと緊張が走る(昔は向かい合って座るだけで、額から汗がびっしょり噴き出していた)。で、生地選びの段になると、マエストロと息子のルイージ、娘のパオラ、秘書のアントニオ(工房にもアントニオ・ペトロジーノ<知ってる人は知ってるかな? 彼は今、パニコにいます>というサルトがいて、偶然にもパニコには3人のアントニオがいる)の4人に囲まれると、親切心からそうしてくれているんだろうけど、こっちはひとりなので相当なプレッシャーを感じてしまうのだ。「へい、フジ~(ボクはフジと呼ばれている)、どんな生地がいいんだ?」と30cmの距離まで顔を近づけて生きてシワガレ声で問われたと思ったら、その3秒後には「へい、フジ~、オマエにはこれだ!」と手に持った生地を僕に渡してくる。ただ幸運なことに、パニコのストック生地はどれも本当に素晴らしく、マエストロの提案にもいつもハッとさせられる。失礼のない程度に生地棚を漁らせてもらいながらも結局はオススメされた3~4点くらいの中から選ぶことがほとんどだ。パニコの服を仕立てるときは、マエストロにお任せしたほうが、パニコらしい飽きのこない最高のスーツが完成する気がする。
マリアーノ・ルビナッチ氏。実はナポリ在住時代、僕のアパートの大家さんは彼だった(笑)。
僕はマリアーノさんのクラシックなスーツの装いが心の底から大好きだ。
アントニオ・パニコ氏。彼には絶対的なエレガンスがある。
サルトリア パニコの生地棚。
ところ変わってフィレンツェ。宮平康太郎氏のサルトリア コルコスでの生地選びの話に入ろう(やっと本題)。初めて仕立てたときに強く感じたのだが、彼の生地の提案の仕方は、僕が今まで経験してきたどのサルトリアとも異なっていた。その時間はとても楽しく、また、彼の提案の素晴らしさに「サルトとして、これぞ一流の接客だ!」と本気で感心してしまった。サルトとしての一流の接客とは、スプマンテを供されソファで寛ぎながら生地を選ばせることではない。彼がしたのはむしろその逆で、生地棚の前のガラステーブルの上に生地をバンバン広げ、身を前に乗り出しての延々の立ち話だ。大切なのは、宮平自身がお客さんに最高に気に入ってもらえる生地を見つけてあげたいという思いがとても強く、僕が求めている質の高い提案をいろいろなアプローチでバンバンしてくれる点だ。こちらの希望を伝えたら、それを汲んだうえで棚の中の1点モノの生地をいろいろ出してきて、それがどんな雰囲気の服に仕上がるのか、どんな格好で着たらカッコいいか、着込んでいったらどうなるのかを詳しく説明してくれ、さらにこちらが希望したのとは異なる雰囲気の生地を取り出して、こういう別のアプローチもありますよ、といった感じで提案してくれる。
サルトリア コルコスの生地棚。生地選びの際は、前のガラステーブルに生地を広げて、宮平氏との楽しい会話が繰り広げられる。
「いい生地を見つけると、ついつい揃えてしまうんです」と宮平氏は笑いながら話していたが、長年かけて集めてきた生地のストックは相当なものだ。フィレンツェの街の色、丘陵地帯の四季の色、空の色があり、ルネッサンスの芸術の色があり、海でのヴァカンス、あるいは山でのヴァカンスで着る色がある。そして、彼の中ではそれぞれの生地に対して明確なイメージがある。ヴィンテージ生地もかなり豊富にあるが、それらの多くは宮平氏の柔らかな仕立てに合う絶妙な柔らかさ(色もタッチもいろいろな意味で)と芯を備えたものであることも、すごくフィレンツェ的だ。ヨーロッパや日本、アメリカやアジア諸国を中心に、世界中に錚々たるウェルドレッサーの顧客を抱えている。素晴らしいことに、コルコスの服を着た紳士たちが皆本当にエレガントなのは、彼ら自身に服が溶け込む服作りを、宮平氏が徹底して目指しているからだろう。
10年着ているという、宮平氏の私物のアイリッシュリネンジャケット。日焼けして、色が抜けて相当いい感じに育っている。
「カプリにはこのくらいのブルーがすごくエレガントで映えますよ。真っ白のリネンシャツと合わせて夏に着たら最高でしょうね」
「このデッドストックのアイリッシュリネン、タッチと色合いが最高でしょう! 着込んで日焼けしてきたら、イタリアのおじいさんが着ているようないい雰囲気のジャケットに育ちますよ」
「この茶色の生地にはよく見ると赤と緑の糸が入っていて、色が複雑に混じっているから雰囲気があるんですよね。こんなのをトスカーナの田舎町で着ていたら素敵でしょうね」
「葉巻クラブなどの夜のパーティーで着たいなら、この深いネイビーがいいんじゃないですか」
全部ではないだろうけど、自分が経験してきた中から生まれた言葉は、何よりも頼もしい。
仮縫いのときにパチリと撮った、コルコスで1着目にオーダーしたハリスツイードジャケット。
そんなわけで、生地選びだけで優に2時間近く時間をもらってしまい、結局僕は茶のヘリンボーンのハリスツイード生地を選んだ(今はネイビーブルーのモヘア混のジャケットを仕立てている)。
僕はトスカーナのワインも好きだけれど、ナポリの山奥、冬には雪が積もるアヴェッリーノのワインも大好きで、そのジャケットを着てリストランテでワインを嗜む姿を妄想し、これに決めたのだった。
これが大正解だった。
写真・文 藤田雄宏