僕がナポリのマリネッラを愛してやまない理由 Vol.2/4

2023.10.13

お客さんは言った。「だからマリネッラの店は、私たちナポリ人の“アニマ(魂)”なんだ」

マウリッツィオ・マリネッラ氏とアレッサンドロ・マリネッラ氏の親子。

 

 

 

原稿・撮影 藤田雄宏

 

 

 

「父はいつも大きな喜びをもって献身的に仕事に取り組んできました。彼が家を出るのは毎朝6時前です。6時30分から13時30分までと、昼の休憩を挟んで15時から20時まで、常に店に立って働いています。私がまだ小さかった頃さえ、父はそのような生活を送ってきました。ただ、毎晩遅くに帰宅する父からは、子供ながらに日々の充実感、幸福感が伝わってきたものです。父からは自分が幸せになれる仕事を見つけなさいとずっと言われてきましたので、マリネッラで働くという選択は決して強制されたものではありませんでした。父の背中をずっと見てきた私は、選ぶ自由があったなかで、全情熱を傾けられる仕事としてマリネッラへの入社を決めたのです」

 

 

父マウリッツィオ氏の隣でそう話すアレッサンドロ・マリネッラ氏は、1995年生まれの28歳。ソーシャルメディアのインフルエンサーでもある彼は、マリネッラの熱心なファンを増やすべく自身のアカウントを駆使して“ナポリのマリネッラ”の名をさらに世界的なものにするべく発信し続けている。

 

 

アレッサンドロ氏とブランドとしてのマリネッラがソーシャルメディアでフォーカスしているのは、ナポリの歴史、文化、卓越性だ。マリネッラという店は、ナポリの歴史的背景の中で生まれ、ナポリの歴史や文化とともに、ナポリ人のホスピタリティを常に大切にしながら今日まで歩んできたという自負が、彼らの中に強くあるからだ。マリネッラにはナポリ人の濃厚な“アニマ(魂)”が常に宿っていて、マリネッラとは、すなわちナポリそのものなのである。

 

 

アレッサンドロ氏はフェデリコ2世ナポリ大学(ナポリ大学)で経営学を専攻し、「E.Marinellaの事例に見る中小企業の国際化」というテーマの英語論文を執筆した。2020年にはフェデリコ2世ナポリ大学でビジネス・イノベーションの、さらにその翌年、IPE/ISEビジネススクールでビジネスマネジメントの修士号をそれぞれ取得している。

 

 

マリネッラに入社したのは2017年1月。ロンドン店で半年間研修を積んでナポリに戻ってからは、マリネッラの海外事業やデジタルプロジェクトに注力し、組織的運営の導入に取り組んでいる。

 

 

2021年には「イタリアで最もエレガントなアンダー30歳の男性」に選出されたのに加え、『Gentleman』誌の「ミレニアル世代トップ30」にも選ばれた。2022年には『Forbes』誌の「イタリアで最も影響力のあるアンダー30歳の100人」に、製造業・産業部門で選出されるなど、ナポリだけでなくイタリアではちょっと知られた存在である。

 

 

2020年にはウィルスによるパンデミックのなか、店に足を運べないマリネッラのファンのためにeコマースを立ち上げた。それを見事成功に導いたアレッサンドロ氏について、マウリッツィオ・マリネッラ氏は次のように語ってくれた。

 

 

マウリッツィオ「アレッサンドロはマリネッラにいい意味でのショックをもたらしました。パンデミックの間は店を閉めている期間が長く、私たちはとても困難な状況に直面していました。そんななか、彼は勇気をもってその状況を打破してくれたのです。彼が2020年にeコマースを立ち上げ、迅速にとてもいいかたちで成長させてくれたことは、会社にとって大きな助けとなりました。私はナポリの店に足を運んでくださるお客様をとても大切にしていますが、遠く離れた地に住んでいる人は、ナポリの店にはそう簡単には来られません。正直、eコマースの導入には最後までためらいがありましたが、結果としてとても上手くいったことで、私自身も時代が変わってきたのだと納得できるようになったのです」

 

 

アレッサンドロ「私の入社と共に会社はデジタルの世界にも進出しと大きく舵を切りました。デジタルの世界は父のビジョンとはかけ離れた世界であり、父が実店舗で日々お客様と接し、ネクタイや生地に触れてもらいながらお客様に与えることができる感動は、eコマースの世界ではなかなか味わえない特別なものです。そこで、私が自らに課した課題は、マリネッラの伝統を守りながら革新的であること、つまり伝統をデジタル市場に移しながら、マリネッラに息づくホスピタリティの精神や製品の価値をお客様にしっかり伝えることです。今日、eコマースはますます成長し、私たちの会社の価値を伝えようとしています。今はそれをさらに成熟させるべく努力しており、オンラインショッピングでの体験を実店舗のそれに可能な限り近づけるオムニチャネル化を目標とし、よりお客様に寄り添った新しい形にしていきたいと思っています。イタリア、そしてナポリを愛する私たちにとって、ナポリで作られる私たちの製品の魅力、ストーリーを伝えることは、大きな誇りです」

 

 

仕事に情熱を注ぎ続ける父の姿をずっと見てきたアレッサンドロ氏の重責は相当なものだが、彼は常に冷静に、時代を見つめながら改革を遂行し、確実に成果をあげている。

 

アレッサンドロ「時代の移ろいの中で世代が変わっても、マリネッラがここナポリで歴史を積み重ねていくこと、私たちの仕事がお客様のマリネッラへの愛着を生み出す旅であることに変わりはありません。今の時代はテクノロジーと変化のスピードがとてつもなく速く、私たちもそれに適応する術を知っておかねばならなくなりました。マリネッラのDNAを維持したいとの願望をいくら持っていようとも、時代に歩調を合わせないのは大きなリスクになります。私は父の背中をずっと見て育ってきましたし、父の仕事の仕方も心の底からリスペクトしています。だからこそ別のかたちでマリネッラでの自分の役割を見つけ、家業に身を捧げているのです」

 

 

なんとも立派な28歳である。アレッサンドロ氏の献身もあって、マリネッラはとてもいいかたちで新しい時代の中を歩み始めている。

 

 

さて、ここでのインタビューはなかなかユニークだ。僅か20㎡しかない店内にひっきりなしにお客さんが入ってきて、その度にインタビューが中断する。マウリッツィオ氏自身が毎日店に立っているだけあって、僕から見るに半分近くは馴染み客だ。親しみのこもったマウリッツィオ氏の「チャオ~」や「ブオンジョルノ~」の挨拶が、お客さんが入ってくる度に店内に心地よく響き渡る。そして、そのままお客さんとの楽しそうな会話が始まる。これがマウリッツィオ・マリネッラ氏のホスピタリティである。109年にわたるナポリの店の伝統であり、根幹にあるものだ。お客さんがこの店にすばらしい心地良さを覚えるだろうことは、容易に想像がつく。

 

 

このように人の流れが活発なヴィットーリア広場に店を構えていることは、マウリッツィオ氏にとってどういった意味があるのだろうか?

 

 

マウリッツィオ「1914年、マリネッラの店をオープンするにあたって、祖父エウジェニオは周囲からここヴィットーリア広場ではなくフィランジエーリ通り(ルビナッチが1932年の創業時に店を構えていた、高級ブランドのブティックが並ぶ通り)をすすめられたそうです。それでも彼は、眼前に美しいナポリ湾が広がり、沖合いにカプリ島やソレント半島が望めるここヴィットーリア広場を選びました。ここは世界中の人が思い描く、美しいナポリの象徴的な場所です。ナポリの皆がこの場所を愛し、この広場を訪れる人たちの多くが、マリネッラに足を運んでくれます。マリネッラは大企業のような大々的なマーケティング戦略やテクノロジーを駆使したコミュニケーション手段はこれまでとってきませんでした。それでも今日まで続けてこられたのは、ラッキーだったとしか言いようがありません。私たちの店はお客様からの口コミでまずはゆっくりとナポリに、そして少しずつ世界へと知られていったのです。いつも言っていることですが、マリネッラとは奇跡の産物だと思っています」

 

 

1914年、ナポリの上流階級が自然と集うヴィットーリア広場に店を構えたところからマリネッラの奇跡は始まった。今日のグローバリゼーションの中で、ナポリはアイデンティティとオリジナリティを今も残している数少ない都市であり、マリネッラはそんなナポリの象徴だ。ゆっくりとゆっくりと、日々のホスピタリティを積み重ねていくなかで、いつしかマリネッラはナポリ人の皆が誇れる店となっていったのだ。

 

 

1914年、ナポリの日刊紙『IL GIORNO』のコラムMOSCONIで、作家でジャーナリストのマティルデ・セラーオがマリネッラの店のオープンを祝っている。「我々の素晴らしいシャツメーカーのエウジェニオ・マリネッラによって、ピアッツァ・ヴィットーリアの287番地にマリネッラの店がオープンした」とある。15世紀に建てられたパラッツォ・サトリアーノの1階に構えたイギリス製品が埋め尽くす20㎡の店内は、ナポリのジェントルマンの英国趣味に従って、エウジェニオ・マリネッラ氏自身が家具を揃えた。オープン当時の店にはフローリスやペンハリガンのオーデコロン、ロックの帽子、アクアスキュータムのコートなどが並び、それらはエウジェニオ・マリネッラによって初めてイタリアに輸入された商品だった。そう、オープン当時のマリネッラは英国商品を扱う店であり、さらにいうと、主力商品はネクタイではなくシャツだったのだ。

 

 

 

1985~92年までイタリア共和国第8代大統領を務めたフランチェスコ・コッシーガは、マリネッラのネクタイが5本入った箱を各国首脳への公式訪問の際の贈り物とした。1994 年にナポリで開催された G7 において、当時の首相だったシルヴィオ・ベルルスコーニは、すべての国家元首にマリネッラのネクタイ6本が入った箱をプレゼントした。マリネッラからのプロモーションでもなく、ホスピタリティの塊であるマリネッラのネクタイが選ばれ、贈り物として大変重宝されたのは、必然だったのかもしれない。そしてマリネッラは世界にその名を知られるようになっていったのだ。

 

 

 

2003年12月に発刊されたマリネッラの本『Cinquantadue nodi d‘amore』。マリネッラを愛する52名がここに登場する。最初を飾ったのは、フランチェスコ・コッシーガだ。イタリア人でその名を知らぬ者はいない、錚々たる人物が名を連ねている。

 

 

表紙はマウリッツィオ・マリネッラ。僕のバイブルとなっている1冊だ。これを見て、ファッションで着るのでなく自分のスタイルをもったイタリア男性のなんとエレガントなことかと、当時凄まじい衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えている。

 

 

 

 

創業100周年を迎えた2014年6月26日には、ナポリの王宮を貸し切って、盛大なパーティが開催された。僅か20㎡の小さな店が、サンカルロ劇場とナポリの王宮を貸し切って、1500名を超えるゲストを世界中から招いたそのパーティは、実に華やかだった。贅を好まないマウリッツィオ・マリネッラ氏が恐らく人生で唯一したとてつもなく贅沢な、100年間にわたる目一杯の感謝の気持ちの表れだった。幸い僕もそれにご招待いただいたが、今なおこのときを超える盛大なパーティには出合ったことがない。

 

 

 

2014年に開かれた100周年のパーティーはサンカルロ劇場から始まった。

 

 

同じく100周年のパーティー。王宮の庭園にて。

 

 

アレッサンドロ氏のアイデアのもと、2021年に発売されたマリネッラのオレンジファイバータイ。同年10月、ローマで開催されたG20サミットにおいて、イタリア政府の公式プレゼントとして採用された。オレンジファイバー社とミラノ工科大学の取り組みによって、オレンジジュースを作る過程で排出されるオレンジの皮を使用し、セルロースを抽出して繊維にする技術を開発したのである。彼はマリネッラに着実に新しい風を呼び込んでいる。

 

 

 

「ナポリについて大切なことをお話しします。ご存じのようにナポリはサッカー セリエAで33年ぶりにスクデットを獲りました。ナポリについては歴史、文化、食、ファッション等これまでさまざまな題材ともに取り上げられてきましたが、今日、これまでにないほど街のあちこちで撮影隊のトラックを見かけるようになりました。今はナポリのカポディモンテ美術館からパリのルーブル美術館に約70の作品を貸し出しての展覧会“Napoli a Parigi”が2024年1月8日まで開催されています。祖父は生前、ナポリはパリとウィーンと並ぶ、ヨーロッパの文化の都であると、よく私に話していました。歴史、文化、音楽、芸術作品、そして素晴らしい食があり、そしてマリネッラがあるんだと(笑)。ナポリは人々の精神においてもアイデンティティに満ちています」

 

 

そう話すマウリッツィオ・マリネッラ氏の話に対して頷いて聞いていたお客さんは、遂に会話に交じってきた。

 

 

「知っているだろうけど、マウリッツィオは昔のネクタイをきれいにクリーニングして、新品のように直してくれるんだ。それがどういうことを意味しているか分かるかい?」

 

 

マウリッツィオ氏がお客さんの質問に対して僕の代わりに答えてくれた。

 

 

「糸をほどいてネクタイをばらし、シルクの生地をクリーニングしてからほつれを直し、新しい芯地に取り換えて縫製し直す作業をするのですが、お客様からは1本25ユーロをいただいています。新しいネクタイを1本仕立てるのよりも何倍もの手間と時間がかかりますが、その1本のネクタイにはお客様にとってとても大切なストーリーが詰まっています。そしてそれは同時に私たちにとっても大切なストーリーです。お客様と私たちを“結ぶ”それらを守っていくことは、私たちの誇りなのです。それこそ私が生まれる以前、70年前にお客様のご祖父が購入されたネクタイを持ち込まれる方もいます。そういったネクタイを今も大切に使っていただける、これ以上の喜びがあるでしょうか?」

 

 

 

マウリッツィオ・マリネッラ氏が生まれた1955年当時の顧客台帳。当時に購入されたネクタイがリペアに持ち込まれ、今日息を吹き返す。素敵すぎる話ではないか!

 

 

マリネッラは2024年、創業110周年を迎える。4代目のアレッサンドロ氏が加わって、新しい道を歩み出したマリネッラの新たな目標は、創業200周年だ。そこにあり続けるのは、常にホスピタリティであり、大切なのはマリネッラ家が1914年から紡いできた歴史を繋いでいくことだ。

 

 

そしてお客さんは“ブランド”ではなく“店”という言葉を使ってこう言った。

 

 

「だからマリネッラの店は、私たちナポリ人の“アニマ(魂)”なんだ」

 

 

 

20㎡の店内には、マリネッラ家の愛がたっぷりと詰まっている。訪れてみるとわかるが、スタッフの雰囲気も含め、店内には古きよき時代のイタリアの薫りが今もぷんぷん残っている。4代目の若きアレッサンドロ・マリネッラ氏(右)はこれを守りながら、新たな時代を切り拓いていってくれるに違いない。

 

 

 

第3回は2023年10月20日に掲載します

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