ビームス創造研究所 クリエイティブディレクター 南雲浩二郎氏インタビュー
2019.08.07
ビームス創造研究所 クリエイティブディレクター 南雲浩二郎氏インタビュー
90年代のビームスを象徴していた最高にクールな男は、僕の中では南雲浩二郎さんだった。
ファーラン&ハーヴィーのバッキバキのチョークストライプスーツとジョージ クレバリーのビスポークシューズで決めた装いは最高にクールで、でもそう見えたのはそれだけが理由ではなかった。
南雲さんはロンドンだけでなく、パリやミラノ、NYまでをも感じさせる、多国籍の風を吹かせていた。
纏うアイテム自体はベーシックなんだけれど、ツイスト感のあるミックススタイルは唯一無二の南雲ワールドだった。
今回、その南雲さんがおよそ20年ぶりとなるファッションインタビューを受けてくれた。
当時憧れていた南雲的ツイスト感は今もバリバリに健在だった。
それだけでも最高に嬉しかったが、答えてくれる言葉のひとつひとつに重みがあって、
それはもう最高に楽しく、最高にテンションの上がったひとときとなった。
南雲 浩二郎 なぐもこうじろう (ビームス創造研究所クリエイティブディレクター)
1964年生まれ。1985年にビームス入社。インターナショナルギャラリー ビームスに11年勤務、アシスタントバイヤーや、数店舗でマネージャーを務める傍ら、VMDの総合ディレクターを兼任。「BEAMS MODERN LIVNG」のMDなどを経て、現在はビームスに限らず内外の店舗やオフィス内装のデザインディレクションを手掛けている。
―今日のファッション誌やカタログで見るビームスのクロージングと南雲さんのスタイルは異なっていて、80~90年代のイギリスやパリを感じるのですが。
南雲氏(以下敬称略) いや、イタリアものも着ますよ。でも今日はこの取材の意図を考慮してイタリアっぽくないほうがいいのかな、と思ってこういう格好にしたんです。僕らの業界の中ではある種絶滅危惧スタイルになっています(笑)。昔は、普通のフィッティングでベーシックなアイテムを、エキセントリックにスタイリングして着こなすというファッションがあったんです。僕にとってはチューブの斎藤久夫さんなんかがそうなんですけど、それは決して奇を衒っているわけではなく、パッと見ではどこが普通じゃないのか分からないようなスタイルです。ファッションってフィッティングとプロポーション、色柄やディテールの組み合わせ方で時代性が表れてくると思うんです。例えばタイトなフィッティングが流行ったり、近年のモードやストリートの世界ではビッグシルエットが流行っていますけど、あえて普通なシルエットとフィッティングもありだよと言いたい。今、ビームスで扱っていて“クラシック”と呼ばれているものの中にはディテールやフィッティングなどを誇張して作られたものが多いですが、それは時代性を表現した結果のデザインでありファッションです。でもクラシックとは、そういうことにあまり大きく影響されないで、いつの時代に見ても新しくもないけど古くもなく、ただ佇まいがそこにある、というものであると僕は認識しています。今日みたいなミックス感のコーディネイトで遊ぶスタイルというのは、クラシックという概念があるおかげで成り立つものだと思っています。
―南雲さんのスタイルのベースにあるものは何でしょう?
南雲 うーん、どこに根差しているとかはあまりないですね。常に変化していますし、モードなものや古着もたくさん着てきました。ただ、価値より質に興味があるということは変わらずにいます。
僕がインターナショナルギャラリー ビームスにいた80年代はアルマーニのネクタイが週に100本くらい売れる時代でしたが、いわゆるソフトスーツ的なものを提案しながらも、自分たちは3つボタンでサイドベンツのジャケトを着ていたり、面白いと思った新しいものは、先入観をもたずに気軽に取り入れてきました。
80年代の何が面白かったって、どこの国もそれぞれ極端に違った個性があったところだと思うんです。イタリアもアメリカもイギリスも。ジョルジオ アルマーニやラルフ ローレン、ポール スミスが70年代にデビューしてポピュラーになっていく過程は、どこも勢いがあったのでとにかく面白かった。そういった中でいろいろなものを十分楽しませてもらったというか。料理と一緒ですよね、和食も好きだけどイタリアンもフレンチも大好き、個性が違うから順番がつけられないみたいな。そんな欲張りな感性が自分のベースになっているんだと思います。
―そういうミックス感みたいなのって、ビームスらしさのひとつかなとは思うのですが、先輩から受け継がれてきたビームスらしさ、みたいなものはありますか?
南雲 先輩から引き継いだのかは分かりませんが、僕が若い頃は、モノも大切でしたが、それよりも雰囲気を作ることを目指すのが、ファッションでは大切だと思っていました。同じものを着ていても何かムードが違うなみたいな、そういうのにすごく憧れていましたね。
実際、単に良いものどうしを組み合わせたり、ブランドや国を統一したりしてお洒落になるかといえば、そういう話ではないんですよね。
アイテムで言えば、手強いほうが面白かったんです、僕は。例えばイギリスのビスポークテーラーの服ってパワステのついていないマニュアルのスポーツカーのようなもので、運転するのは難しいけれど、乗りこなしたら格好いいでしょ、と。片やイタリアンテーラードの既製で素晴らしく着やすい服は、オートマのメルセデスベンツのようなものだと感じます。運転しやすくてきれいで安心。それはそれで凄いことなんですけど、手ごわいほうが面白いじゃん!っていう感覚だったんですよ。わざわざ服を慣らすのなんて面倒くさいでしょ? 最近は特に。
でも、苦労して乗り続けることでいろいろなテクニックが身についていって、隣の人が、あ!なんかスゴイなって感じるようなムードが欲しいな、と思っていたんです。それが手に入ったか?は分かりませんが(笑)。
―やっぱり当時はイタリアとかイギリスとかフランスとかアメリカとかミックスさせて、自分が着たいように自由に着ていたわけですね。特にルールを設けることもなく。
南雲 どんなにかぶれても、本物のイギリス人やイタリア人にはなれないわけだし、日本人でいいかなと(笑)。変な本物志向の勘違いより、身の丈がわかっているほうがラクですからね。
ただ、本家ではないぶん、それぞれの国のルールやその違いなどはそれなりに調べましたよ。自分なりのスタイリングを楽しむために。
さっきの先輩の話に戻りますが、86年か87年頃にビームスのロンドンオフィスにテリー・エリスというバイヤーが入ってきて、彼はスタイルカウンシルのスタイリングもやっていたんですけど、ジャマイカ生まれの黒人で、幼少期に家族でロンドンに住み始めたと聞いています。初めて会ったとき、ドレッドヘアにブルックス ブラザーズのブルーのボタンダウンシャツ、グレーのサイドアジャスターのイギリス製のトラウザーズを穿いて、グッチのスエードビットローファーというコーディネイトだったんです。それがすごく格好よかったんですよ。要するに何にも由来していないじゃないですか。オーセンティックなアイテムをフツウに合わせて、僕らがよいと信じていたミックス感が全身で表現されていて、それがすごく衝撃的で格好よかったですね。それで彼が履いていたそのビットローファーを欲しいって言ったら、ロンドンで買ってきてくれたんです。素足で履き倒してもうボロボロですけど、とても思い入れのある靴です。その当時、スエードのビットローファーはあまり売れていなかったようで、このヒールの高さはもしかしたら70年代のデッドストックかもしれませんね。質のいいものってボロボロでもいいでしょう?(笑) その頃、素足で革靴を履くっていうのはまだ一般的じゃない時代でしたね。素足じゃなく“裸足”に見えちゃう、みたいなね(笑)。
スタンダードってどんどん変わっていくんですよね。だから、どんなふうに見えないようにしようとか、人から読まれない格好をしたい、みたいなことばかり考えていました。簡単に言うとスノッブなんですよ。ちょっと俗物的で、だれかれ構わずお洒落だなんて言われたくない(笑)っていうのが当時の自分たちの感覚でしたね。だから、そんなモノやスタイルはオンタイムでは流行らなかったですね。自分たちだけで勝手に満足して終わるみたいな(笑)。
―その感じ、すごくよくわかります。それが逆に当時のビームスらしさみたいな感じだったんですか?
南雲 自分にとってはですよ。もちろん、会社の規模が大きくなっていくにつれてサービスとしての気持ちで、懇切丁寧に説明しないといけない時間帯がやってくるわけですけど、昔は「5年早かったって言いたいよね、いつも」って会議で言っているような会社でしたから。お客様からできるだけ遠くに立っていたいという、そんなすかした人が多かったですね。
当時はネットもないから情報も少なくて円も安く、エアで送られてくるパッキングされて中身が見られないヴォーグなどの洋書が1万円!なんて時代です。いくら憧れても若い自分が海外旅行に行ける機会は稀で、なかなか情報が手に入いらないからこそ、ある種の妄想が広がっていったんです。重要な情報源であった映画などでスタイルを見て「これがフランスだ! イギリスはこんな感じだ! アメリカだ!」とか言っても、その主人公は犯罪者だったダサい人の設定だったりして(笑)。そのままコピーすると、けっこうおかしなことになっているわけですよ。でも、その勘違いがオリジナリティに変わっていくケースもありました。逆を言うと、知っているものを焼き直しても、同じになってしまうので新しくはならないんですよね。昔の僕ら同様に、90年代生まれの若い人たちが80年代をイメージすると、そのままではなくて新しい解釈のものになっているからモダナイズされるわけですよ。だからクリエイティブなことには誤解とかって大事なんです、きっと(笑)。
―なるほど。それはすごく面白いお話ですね! ところでずっと愛用されている定番服はありますか?
南雲 既製品ではあまりないんですよ。
―ちなみに今日のシャツはブルックス ブラザーズですか?
南雲 10年くらい前のルイジ ボレッリです。おっしゃる通り確かにブルックス ブラザーズみたいな襟型ですね。ボタンダウンシャツのクラシックな雰囲気は踏襲しています。
ムードだけでなくディテールや素材、色柄に意味のあるヨーロッパの文化については、ビスポークを担当(南雲さんは、当時ビームスが招聘していたサヴィルロウのテーラー、ファーラン&ハーヴィーと、靴のジョージ クレバリーのビスポークを担当していた)していたときに随分と教わり、また鍛えられましたね。
―かつてのクレバリーはジョン・カネーラさんがとてもストイックだったと聞きますが。
南雲 最初に僕が一緒に仕事をし始めた26才くらいのころ、ジョン・カネーラ氏には結構NOと言われましたね(笑)。単なる美的感覚ではなく様々な文化的背景を纏うロジックが、1足の靴のデザインにもあることを叩き込まれました。
―現在はアメリカ市場に向いているので、当時とはだいぶ変わったと思うのですが。
南雲 そうですね。以前のクレバリーは、本来の意味でのクラッシックという文脈をとても大切にしていました。何十年もの歳月、多くの人々が選び続けたことで完成された基本的なデザインを、ほんの少しだけアレンジして違う個性に昇華させることで、ハウススタイルのオリジナリティを維持していくことを目指していたように感じます。言わば茶道のような感じですかね。枠があることによる自由です。
自分自身のオーダーでも、最初はどういうふうにしたらOKが出るのかトライ&エラーしながら探っていましたね。これは94年に作った4足目のビスポーク(アデレードのブラインドブローグ)で、フィット感も形も思い通りにできた最初のお気に入りなのですが、小さなパーフォレーションにしてみたり、ディテールやレザーの色がスポーティだからコントラストをつけたステッチにするなどのリクエストを入れてオーダーしたんです。ビスポークのデザインにおけるルールやトーン&マナーは、自身やお客様のオーダーの際に実践的に学びました。そして、この靴を作っているときに、クレバリー本人が自身の店舗を持っていた時代からの最古参の職人が、「これは最高にクレバリーっぽい!」と言っていたとジョンから聞いて、すごく嬉しかったですね。後に、このブラインドブローグは既製のラインで発売されたんです。非常に思い出深い一足ですね。
あと、ビームス オーダーのポールセン・スコーンの既製靴もデザインを提案していた時期があって、そのときに企画したコンビのサドルシューズも今あらためて新鮮ですね。エドワード グリーン製のもので、88年か89年くらいのものかな。こちらはあまり売れなかったように記憶してますけど(笑)。
―ポールセン・スコーン、最高にカッコいいですね! その他に、例えばリーバイスのような定番のアイテムはありますか?
南雲 あんまりないんですよ。リーバイスもヴィンテージなど散々穿いたのですが、僕らの若い頃、古着はまだ一般的ではなく、ヴィンテージのバイブルも無かったから、今思えばとても安かった。探し当てれば501XXを1万円で買えた時代でしたから。古着屋のVOICEができたくらいの時期で、多分、我々のような洋服屋しかヴィンテージの価値を分かって古着を買っていなかったのではないでしょうか。
その後、渋カジのような時代を経てビンテージブームになり凄い高い値段になってしまって、それを着ていると10万円、20万円とかバカみたいに高い値段で買っているのか、と思われてしまうのがイヤで、ほとんど人に譲ってしまいましたね。
―ははは、南雲さんらしいですね! ちなみに着倒して買い足しているものはありますか?
南雲 ここ数年は無印良品のパックTを買っています。シームレスボディで上質なコットンなんですよ。しかも2枚パックで千円を切るコスパ!現行品は数年前よりストレッチが効いているように変わってしまったのが残念ですが。
―無印良品とはちょっと意外ですね。
南雲 必要な質を満たしていて、コストのバランスが良ければ、ブランドとかはなんでもいいんです。実はあまりこだわりがなく、こだわりがないことには、こだわり続けたいと思ってはいるんですけど。
昔の好きだったものが、今も同じ品質やコスパ、仕様で買えるものっていうのがあまりなく、残念ながら多くの場合、クオリティが悪くなっているので、買い足すことってないですね。何十年とモノを見てきましたが、最初のころより質が良くなっているものってほとんどないですから。
―でも、それを許さないと何も買えなくなってしまいますよね。
でも、ほかに面白いものがあるから、それでいいんじゃない、というスタンスなのかな。
ある種の決意で、いつも同じ白シャツを着ていたいっていうこだわりとか自分にはないんです。変えるのも面倒くさいからずっとこれでいいや、というのはあるんですが(笑)。
―それはなんですか?
南雲 サンタ・マリア・ノヴェッラのオーデコロンです。「ノスタルジア」という摩耗したタイヤの薫りがとか、ガソリンと革のシートの香りみたいなやつなんですけど、もう15年くらい使い続けています。
40過ぎまでは香水とかつけたことなかったんですけど、オッサンになって自分の体臭とミックスされて、オリジナリティのある枯れた香りになってるかな?と。全く同じ香りをした人とすれ違ったら、同じパンツを穿いている人とすれ違っているみたいで気恥ずかしいじゃないですか(笑)。
―ご自身の装いでトレンドや時代性を意識しますか?
南雲 トレンドとの距離は考えますよね。乗っかっていく場合も逃げる場合も含めて。仕事柄、時代性は絶対意識しなくてはいけないと思うんです。
自分は現代美術や建築もすごく好きなんですけど、それらのコンセプト同様、何かに呼応して変化していくというのは、ファッションにも必要だと思います。自分の好き嫌いは別として、世の中の情勢や政治、環境などに対して、価値観の変化に敏感でいないといけないと考えています。自身の立ち位置や考えを踏まえた上での、柔軟なバランス感覚が大切です。ファッションに限った話ではなく、自らの好みだけで俺のこだわり!と主張することはないです。簡単じゃないですか、変えないのって。年を取ると面倒臭くなってきますから、いろいろな情報を入れないでおけばいい。若いうちは様々なことに興味をもつから、1つのことに集中するほうがストイックで格好いいというのはありでしょうけど、なんとなく時流に合わせて広く浅い今しか受け止めていなかった人が、年を取ってからトレンドに敏感になるとか間口を広げようとしても、若干無理があるような気がします。自分は若いときに色々やって年を経た今、周りから思われているイメージより柔軟になったかな(笑)。
-南雲さんが80~90年代にビームスで楽しかったこと、ビームスを通して学んだのはどんなことですか?
南雲 その頃はとにかく今ほど情報がなくて、商品知識もめちゃめちゃだったんです。
先輩のバイヤーがこのシャツが本当にいいんだよ、とかこのジャケットが一番いいんだよ、とか言って仕入れたものを、お客様にそう伝えて販売したら、翌年、もっといいものがあったんだよ、とか言われたりして、去年お客様にこれが一番です!って売っちゃったのにどうしてくれるんだよ、みたいな。情報を鵜呑みにしてはいけない、先輩だからといってむやみに信じてはいけないと思いました(笑)。今思うと、以外にもその裏切で柔軟になったのかもしれません。しかも、もっといいヤツが見つかったわけだから、結果いい話ですよね。
この時期、様々な新しいムーブメントが次々と出てくるんですよ。例えば、94年に「ビームス モダンリビング」という、主に北欧系のインテリア関連部署が立ち上がり携わることになりました。アルヴァ アアルトや、マリメッコ、ハンス ウェグナー、などを紹介し、何年もの間なかなか売れなかったけど、店頭でその良さを伝えていく中で、じわじわと浸透して10年くらいかけて認知され、今や北欧インテリアはスタンダードになりました。
柳 宗理先生と出会ったのもこのころで、事務所やご自宅にもうかがって、デザインやクラフト、民芸について教えていただきました。当時、柳デザインのヤカンを数年で200個も販売したのはいい思い出です。洋服屋でヤカン200個はスゴイですよね。
また、民芸の陶器などの販売を始めた95年くらいも全く売れなくて苦労しました。僕も含めほとんどの若い人たちが磁器系の食器しか使っていなかったその時期に、重くて割れやすい陶器を広めるのにはとても苦労しました。家具にしろ陶器にしろまずは自分で買って使って、そして良さを実感してお客様に伝えるというのは、ファッションでしてきたことと変わりなく、たとえ時間はかかっても浸透していくだろうという実感はありました。そして、今現在の民芸や陶器に対する注目度の高さはご存知の通りです。これらはほんの一部の話ですが、ムーブメントの始まりからスタンダードに至っていくときに立ち会えたのは、ビームスにいたおかげで、本当に素晴らしい経験でしたね。
―南雲さんはご自宅のインテリアも様々なテイストのミクスチャーで、度々媒体にも紹介されていますが、ご自身の装いにおいてもミックス感というのはキーワードになっていますか?
南雲 確かに自宅のインテリアのように何風にもならないスタイルも好きですね。一方で今日の格好はトラッドで基本コンサバティブなミックスです。個々のアイテムはそんなに奇を衒っているわけでもないですし、着方も普通です。でも何かが変?なのが面白い(笑)。
デヴィッド・ホックニーもファーラン&ハーヴィーの顧客だったんですけど、その着こなしにはインスパイアされましたね。アンディー・ウォーホルやヨゼフ・ボイスなんかも広くは同じカテゴリーかな。彼らアーティストは普通のものを独特の色・柄合わせやコーディネイトで、個性を発揮していました。同じ個性派のクリエイターでもミュージシャンが選ぶ新しいデザインとは少し違う、そういうスタイルも僕はビームスに必要なファッションとして捉えています。絶滅危惧種ですが(笑)
―南雲さんにとってのサルトリアルヒーローは誰でしょう?
南雲 ビスポークで作ったのはファーラン&ハーヴィーしかないので、ピーター・ハーヴィーには感謝するしかないですね。彼は元々リアルタイムでモッズだったんですよ。それだからか、クラシックなことも教えてくれるけれど、ファッションというものに理解があった。後に加藤和彦さんがファーラン&ハーヴィーをオーダーするようになるのですが、そういう感覚もマッチしたんでしょうね。
―加藤和彦さんのファーラン&ハーヴィーは南雲さんが担当されていたわけですよね。
そうですね。今日着ているジャケットも昔、加藤さんのために僕が考えて提案したスタイルを既製品に落とし込んで作ったものなんです。元になった、サージで作った冬ものは、加藤さんが20年ほど前に作ったものを、後年やっぱりいいな、と思って僕も15年前に同じものをビスポークしたものです。加藤さんは10年ほどの間に100着くらい作ってくださって、そのうちの50着くらいをお借りして、2003年にビームスで「The Bespoke Style」“音楽家が恋した仕立屋の服”という展覧会もやりました。実はシャツとタイなどは僕の私物でコーディネイトしたんですけどね(笑)。それにしても、ピーターと加藤さんと3人でデザインを考えていく過程で、とても多くのことを学べたことには感謝しています。
―それ、衝撃的で、すごくよく覚えています。愛用されているアクセサリーはありますか?
南雲 所謂アクセサリーにはあまり思い入れはないですけど。ビームスで90年代から販売しているマリア・ルドマンのデイレクションによるサーミ人のアクセサリーは、10個くらい買って20年以上愛用しています。今日は持ってくるのを忘れましたが(笑)。
―影響を受けた街はありますか?
南雲 街によってこんなに服の見え方が違うのか、と思ったことがありますね。ロンドンの街中ではツイードのジャケットを見るとなんだか違和感がありますが、東京で見ると不思議とおかしくないんですよね。それはピーター ハーヴィーも言っていました。
また、あるときロンドンのボンドストリートで、知り合いの某イタリア高級ブランドのスタッフに偶然会ったのですが、そのスーツが妙にヒラヒラしていて、街の中で浮いている感じがしたんです。フィレンツェやミラノでは普通にかっこよく見えたのに。あのロンドンの重厚な雰囲気の中で見るとこんなに違うんだな、と面白い体験でした。そういう意味でのコントラストやマッチングというのは面白いですよね。
―実はそれ、すごくアフターアワーズで伝えたいなと思っていたことなんです。ちなみに装いの影響を受けた人物はいますか? いなければ、この人の装いは面白いなとか、お洒落だなと思う人でも構いません。
南雲 若いころから、素敵だなと思う人はいたんですが、自分はああいう風にはならないな、と思っていました。例えば加藤和彦さんや、当時同じ売り場で働いていたユナイテッドアローズの鴨志田さんだったりとかはそうなんですけど、コピーはしませんでした。キャラが違うし真似しても本家越えはないなと(笑)
顧客だった加藤和彦さんとは、ご自宅に伺ったときも食事をご一緒させていただいた際も、2時間でも3時間でも延々と服の話をしていました。ウィンザー公のスタイルについて話すことが多かったように思います。服装に対するルールやマナーといったことが今日の何倍も厳しかったコンサバティブな時代に、当時のイギリスではだいぶスポーティな素材だった、ツイードやフランネルの服、スエードの靴などを好んで身に着ける、といったような着こなしに興味がありました。服装のルールやマナーを知り尽くしたウインザー公が、その知名度を使って世の中の価値観に対しどれくらいノーティーな着こなしをしていたのか?ということを妄想して会話を楽しんでいました。芸能人の中でも加藤さんにはそういったタイプの知名度があったので、ある種似たような楽しみ方をしていましたね。
―ビスポークはお好きですか? 好きだったという過去形でしょうか?
南雲 いいものですよ。それはわがままを言えるとかいうことではなくて、本当にクオリティの高いものが持っているものの底力というのは着るとすごくよくわかります。それは1年、2年でなくて10年着てみて作ってよかったとか、20年たってみて改めて普遍的でいいなと思うような体験を含めてです。
ジョージ クレバリーのストラップとくるみボタンのこの靴は元ネタがあったわけではなくて僕のアイデアでオーダーしたんですけど、これを提案したときにクレバリーがNOとは言わなかったんです。でもボタンがないってなって、それを隣で聞いていたピーター・ハーヴィーがそれ、うちで出来るよって言ってくれて、くるみボタンをファーラン&ハーヴィーで作って、それをクレバリーに渡して合体して出来たコラボなんですよ。あっ!でも、これはある種のわがままですかね(笑)
―それは最高のストーリーですね! ちなみにクレバリーでは何足くらい作られたんですか?
南雲 15足くらいですかね。ビスポーク受注会をやっていた25年の間に、今回はスーツ、その次の回は靴、と半年ずつ交互にビスポークをしてきました。
話は変わりますが、ビームスでは以前、オールデンのトランクショーをやっていて、個人別注が可能だったんです。2年くらいの間だったんですが、今では考えられないですよね。で、ラストはこれで、ここはハンドステッチにして、といった感じで、革ののせ替えだけでなく一人一人のお客様に対して細かく対応していたんです。その時、モディファイトラストにグレインレザーを乗せ、コバを細く減らしてソールの厚みを調整して、と細かいオーダーしたのがこのUチップなんです。この靴は満足な仕上がりだったのですが、注文した仕様どおりに出来あがってこないものが多く、お客様に買い取ってもらえなくて大変でした(笑)。で、もうやめようね、ということになったんです。
-ははは、オールデンにもそんな時代があったんですね。これは何年頃のものですか?
南雲 確か94年頃だったかと思います。珍しくビームスカスタムフットウェアと入っていますね。アメリカとイギリスの靴屋の言っていることが異なるのも興味深かったですね。ディテールなど呼び方も違うし。ただ、クオリティの高さという共通項があることで、必要なコミュニケーションはとれました。
―ビームスで個人的にスタイルが好きな方、またはお洒落だなと思う方はいらっしゃいますか?
南雲 何人かいますけど、テリー・エリスは、スタイルについてのストイックさが好きです。ものすごくトレンディーな、デザイナーブランドのバイイングもする眼を持ちながらも、自らの着こなしでは基本オーセンティックなものを好み、初めて会ったときのグッチのビットローファーを履いていたころから今現在に至るまで、様々なスタイルを消化し、変化し続けているのが魅力だと思います。
オーソドックスなデザインのものを、色柄、素材は様々でもバランスを替えずにいつも同じような感じで着こなしている豊永信一郎さん(現在はビームスのセレクト事業の統括者)も面白いですね。色々な種類の服を着てはいるのですが、スーツを着ようがブルゾンを着ようがバランスが同じなんです。全体のプロポーションやイメージが変わらない。スーツを着たからビシッとするわけでもなく、サイジングやパンツの丈もいつもほぼ同じ。不思議なことにショーツを穿いているときでさえ同じ(笑)。スニーカーを履いても革靴を履いても変わらないんですよ。あの一貫性のあるスタイルは、なかなか稀有な存在です。
でも、それとは逆に、僕は着るもので雰囲気が変わるというのを楽しみたいタイプですね。それは、ある種、服の醍醐味ですよね。スーツを着るとドレスアップし、カジュアルのときはリラックス感が出て、その時の服装によって立ち居振る舞いまでも変わる。加藤和彦さんはそういう人でした。それはある種演技をしているようなものかもしれません。演技をしているということで言えば、今も顧客の本木雅弘さんも着る服のイメージを吸収して佇まいを変えるセンスがあります。特に仕事においては、以前主演映画のスタイリングを担当した際に流石だなと感じました。プロなので当たり前ですが(笑)。服を着慣れた人たちの中には、芸能人とかじゃなくても稀にそういった感覚のある人がいますね。
立ち居振舞いということで言うと、ある正月に渋谷の街を自転車で走っていたら、丸井の前の交差点で加藤和彦さんがマントを着て信号待ちをしていたんですね。めちゃくちゃ目立ってましたけど(笑)。それで僕に気づいて「あ、南雲くん!」と声をかけてくれて僕が立ち止まると、サッと手袋を外して握手をしてくれたんです。僕は自転車に乗ったままで失礼だったんですけど(笑)。その一連の動作が滑らかで美しく今も脳裏に映像が浮かびます。そういうことが自然に出来る人ってなかなかいないですよね。
あと、ある年末に、帰宅しようと店の前でスクーターに乗りヘルメットを被ったとき、通りかかった高倉 健さんが「南雲さん! 良いお年をお迎えください!」と深々お辞儀をしてくださり、これまた失礼な話ですが(笑)、僕がヘルメットを外す間もなくサッと立ち去っていきました。映画の中の健さんのイメージそのままの、不器用な誠意を感じた一瞬でした。
―知らなかったです。高倉 健さんも担当されていたんですね。
南雲 そうですね。以前の担当が退社したので、健さん本人から「今後は南雲さんお願いします」と言われ少しの期間でしたが。
当時いろいろな著名な方がお店に来てくださっていて、中でも専門的な仕事をされているプロの方は、とても謙虚な方が多かったです。僕が20代前半の頃、お店にいらして接客すると、きちんと話を聞いてくださり、質問もしてくださる。こちらが服のことを勉強して知識もあるとわかってもらえると、若くてもひとりのプロとして認めてくれ、提案も受けて入れてくれるんですよね。その体験で更に勉強しプライドが持てるようになりました。
それはビスポークのテーラーやシューメーカーもそうでした。20も30も年齢が離れていても、僕が服や靴のことを理解してきたな、とわかってくれると、何かある度に「南雲はどう思う?」と意見を聞いてくれるようになりました。僕が何か言っても生意気だ、とか言わず対等に話してくれて自信が湧き責任を感じましたね。
レベルの高いプロの方たちは、お客様もメーカーも皆そうで、何を言っても「分かるよ」というリアクションで被せてくる上から目線の大人は誰一人いなかったですね。
―あと、今日はいろいろと私物をお持ちいだき、ありがとうございます。
南雲さんの愛用アイテムを教えてください。
南雲 今回は300本近くあるネクタイの中から、ちょっと面白いものを持ってきました。ネクタイって如実に流行りがある気がします。ネクタイはどの国のものでも結構変化がありますよね。
「ラルフ ローレンのタイです。ファッションって回っているよね、というのがこれを見るとわかります。右はジョルジオ アルマーニ。80年代、ビームスでも飛ぶように売れていました。最近このような感じのプリントものも多いですよね」
「ギャリック アンダーソンのネクタイが大好きで、入荷するたびに買っていました。近年あまり使っていなかったんですけど、そろそろまた使ってみたいかなと」
「90年代に人気だったスペインのアントニオ ミロ。ブランド的に、今改めて新鮮ですね」
「ロメオ ジリは最近、若い人のあいだで当時のものが人気のようですが、ここのタイは発色や柄がとてもユニークでした」
「左のコットンジャケットはロメオ ジリ。この時代、ロメオ ジリのメンズコレクション デビューは衝撃的でした。モダンでクラフティな印象が気に入って、様々なアイテムを買いましたね。このジャケットは全体のボリュームやちょっと丸みのある襟型が改めて今いい感じですよね。4つボタンダブルでパッチポケットっていうのもいい。右は92年にビスポークしたファーラン&ハーヴィーです。生地はウールギャバジンで、20数年、ほぼ毎年着続けています。油も抜けてしまってさらさらのタッチになり、気が付けばまるでヴィンテージのようになっていました」
「オメガのシーマスターとハミルトン。どちらもヴィンテージで、30年くらい前にビームスで購入しました。時計は詳しくないのですが、オメガはおそらく50年代、のものかと思います。ハミルトンは70年代製です」
右から、グッチのビットローファーは30年以上前にイギリスで買ってきてもらったもの。/オールデンがオーダーを受けていたという時代の希少な靴。/ファーラン&ハーヴィーで作ってもらったクルミボタンを使用した、ジョージ クレバリーのビスポーク。/ポールセン・スコーンのサドルシューズ。/ジョージ クレバリーのビスポーク。アデレードのブラインドブローグ。南雲さんのオリジナルデザインで、後に既製靴のモデルとしてもラインナップされた。
-最後に南雲さんにとってファッションとは? そしてクラシックとは何かを教えてください。
南雲 60年代に、サンローランがウィメンズのパンツスーツを発表したときに、とある有名女優がそのスーツを着て高級レストランを訪れました。すると、レストランのスタッフが『マダム、大変申し訳ございません。私どものドレスコードではご婦人のパンツスタイルでの入店はお受け致しかねます』みたいな内容のことを伝えたところ、その女優はその場でサッとパンツを脱ぎ捨て「これで大丈夫でしょ?」と言放ち店内に入っていったとか。ファッションをスタイリッシュに着こなすにはこんな洒落の効いたセンスが必要だと感じています。
もうひとつはクラシックについて。20年くらい前のとある雑誌のインタビューで、ローリング ストーンズのキース・リチャーズが「俺はクラッシックなんてクソくらえ!みたいな感覚でロックを始めて30年くらいが経ったけれど、今改めてベートーヴェンを聴くと“何てクレイジー(スゴイ)なヤツなんだ! こんな曲は今の俺でも書けない!”って感じるんだよ。だから俺は未だに音楽を止められないんだ」といったような内容が書かれていました。本物のクラッシックの奥深さとはそういうもので、あれだけのキャリアがあっても素直にそれを感じることのできるキース リチャーズもすごいですし、逆に言うと生まれた瞬間からロックのクラッシックたる数々の名曲を生みだしてきたローリングストーンズだからこそ、今もこうしてトップに君臨し続けているのだと思います。
Jacket Fallan&Harvey
Shirt Luigi Borrelli
Tie Emilio Pucci
Jeans Lee
Belt Piombo
Shoes Baudoin&Lange
Sunglasses Tomas Maier
Ring Monica Castiglioni
「ジャケットは7年前くらい前にインターナショナルギャラリー ビームスで限定販売した既製品のファーラン&ハーヴィーです。サマーウールでターンナップカフとくるみボタン仕様なんですけど、これの秋冬版でサージのビスポークを持っていますが、それをもとにデザインを考えました。ディテールも含めて流行らないから廃れることもないし、飽きもしないからずっと着られるんです」
「ブロードのシャツはルイジ ボレッリ。こちらは10年くらい前のもの。タイは90年代のエミリオ プッチです」
ベルトはブラックウォッチのピオンボ。「ベルトは靴に合わせるという鉄則がありますが、そんなのは忘れてしまいました。デニムはリーのビームス別注で、生まれて初めて買ったダメージジーンズ。ダメージ加工は最初に流行ってからもう何周もまわっているので、定番ですよね。オッサンでも頑張ってる風でなく見えるかな?と(笑)」
時計はヴィンテージのブローバ。「おそらく40年代のものです」
リングはイタリアのモニカ カステリオーニ。「こちらは数年前に購入しました」
原稿 早島芳恵 写真 藤田雄宏