SARTORIA ICOA 新しいナポリの表現者、石津健太

2020.02.05

サルトリア界のピーノ・ダニエレ? 
SARTORIA ICOA 石津健太

あるときはジャジーで、あるときはブルージー。かと思えばソウルフルで、コンテンポラリー。

 

そして、いつも優しく、美しい。

 

ナポリを越えてさまざまな要素が溶け合った旋律と歌声は、クリーンで、どこまでも透明だ。

 

サルトリア イコアの服を見たとき、ナポリが生んだ偉大なるカンタウトーレ、

 

ピーノ・ダニエレ(PINO DANIELE)の歌声が脳内を駆け巡った。

 

ナポリを越えて、ナポリらしい。

 

それが、サルトリア界のピーノ・ダニエレこと(勝手にスミマセン)、サルトリア イコア、石津健太の服だ。

 


 

撮影・文 藤田雄宏 

 

石津健太 Kenta Ishizu

1985年生まれ。2007年に渡伊。ミラノのサルトリアで1年修業したのち、ナポリのヌンツィオ・ピロッツィで修業。2010年に帰国し、2011年から平林洋服店のサルトとして活躍。2019年5月、サルトリア イコアをオープン。

 

 

 

石津健太氏と初めて会ったのは、彼がナポリのヌンツィオ・ピロッツィでの修業を終えて日本に帰国した2010年。当時、自由が丘にあったピッティ コレクションのオーナー、本城修一氏からの紹介だった。僕より10歳若い1985年生まれの石津氏は、当時25歳。身体の線が細くてまだあどけなさを残していたが、夢をもってナポリでの修業をタフに生き抜いてきた彼は、僕には大きく、そしてとても眩しく映った。

 

 

その後しばらくして石津氏は平林洋服店に入り、手縫いのテーラーとして活躍。同店で氏が仕立てた服は何度か見ていたものの、昨年5月、自身の仕立て屋「サルトリア イコア」をオープンすると連絡をもらったとき、あの石津氏が自分の感性で仕立てる服とはどんなものなのか、ナポリから戻って日本でも長くキャリアを積んだ今の彼はどこを向いているのか、それはナポリなのかそうじゃないのか、そこに沸々と興味が湧いてきた。

 

 

イコアは“ICOA”と表記し、“I”はItalia(イタリア)とIdentità(アイデンティティ)、“C”はCultura(文化)とClassico(クラシック)、“O”はOriginale(本物の)、“A”はArtigianale(職人の、手仕事の)といった氏の思いを込めた造語だという。

 

 

 

僕と同じ中野区東中野の出身だ。餃子とタンメンとジャージャー麺が最高においしい東中野の名店「十番」には古くから通っているという。僕が初めて仕立てたナポリのサルトリアが石津氏の修業先だった2000年のピロッツィだったこと、2015年に僕も同じナポリに住んでいたこと、そして東中野繋がり&地元のお気に入りの中華屋まで一緒とあって、石津氏には一方的に親しみを感じている。さらに、「本当にナポリで生活していたの?」っていうくらい、いい人感が滲み出ているもんだから、より一層の親近感を覚えるのだ。

 

 

石津氏はエスモード学園の総合科を卒業後、1年間お金を貯めて2007年にミラノに渡った。ミラノのサルトリアで1年学び、さらなる修業を求めてナポリを目指した。フォルモーサ(まだマリオさんも健在だった)、パニコ、ルビナッチ、ピロッツィを回って弟子入りを志願し、その中で「来なよ!」と軽く言ってくれたのがピロッツィだった。

 

 

ミラノで一緒に修業していた友人が作ってくれたというアッフィーラ ジェッソ(チャコ削り器)。僕は最近、これを作るイタリア人職人を遂に見つけたが、イタリア人サルトでもこれを欲しい人はゴマンといる。

 

 

 

ヌンツィオ・ピロッツィのサルトリアはメルジェッリーナ地区のグラムシ通りにあって、通りの向かいはアンナ マトゥオッツォ、一本隣で海沿いのカラッチョロ通りにはダルクオーレがある。サルトリアのテラスからは美しいサン ナッツァーロ広場を臨める、ナポリの“陽”をそのまま描いたような最高のロケーションだ(石津氏がピロッツィで修業していた当時、同広場にはベッラ ナポリの池田哲也さんが修業したピッツェリア リストランテ「Al Sarago(アル サラーゴ)」があった。そこは今、ナポリ屈指の人気ピッツェリア「50Kalò(チンクアンタ カロー)」となっている。ここではマッシミリアーノ&ジュゼッペのアットリーニ兄弟と2度遭遇した。あのアントニオ・パニコもオススメするほど美味だ)。

 

 

ナポリに移って最初の半年は、下町情緒たっぷりなスパッカ ナポリの一角、プレゼーピオの店が連なるサン グレゴリオ アルメーノに住んでいた。Mamma Mia!  窓から向かいを見上げるとカモッラが札束を数えていて、上からワインボトルやビール瓶が降ってくることも日常茶飯事だったという(笑)。そんなところに住みつつ、夜明け前に家を出てメルジェッリーナのピロッツィまで通っていたのだから畏れ入る(後にナポリの魚が水揚げされる漁港町ポッツオーリに引っ越したと聞いてひと安心。ポッツオーリには魚介系の安くておいしい食堂がたくさんある)。

 

 

ピロッツィの工房では、朝6時からサルトリアが始まる9時半までの3時間半、それと土曜の午後が、自分の服を作れる時間だった。早朝から出勤しているベテランの下請職人に教えてもらいながら自分の服を縫い、バールでコルネット(クロワッサン)とカッフェ(ナポリ式エスプレッソ)をご馳走になるのが日課だったという。

 

 

「ピロッツィの服にはボディカットの美しさや服の雰囲気を含めて打ちのめされました。仕事のスピードも尋常じゃなく速い。朝来てパッと生地を広げて数分後には、チャコで線を引いて裁断し終わっているんですから。修業中、ヌンツィオからは、服は近くで見るな、離れたところから見ろ、とよく言われました。今となってはそれがすごくよくわかるんです。ナポリ人の仕事は日本人の目から見ればときに雑に映るかもしれませんが、彼らはもっと大局的なところでの美しさを大切にしているんですよね。日本人とは違うベクトルで服の美しさを捉えていて、魂を込めながら仕事をしています。最近では自分も日本人の目線になりがちで、それではいけないなと思っているところです」

 

 

石津氏の言っていることはすごくよくわかる。日本人的にはイタリアらしい柔らかさはそのままに、ナポリの雰囲気を大切にしながら縫製を美しくすれば、より素晴らしい服になるのでは、という感覚に陥りがちだけれど、自分が見てきた経験から言うと、そういった服はときに整いすぎてしまう。イタリア人の中に刻まれているのは、もっと別の、柔軟性というか複雑なリズムとでもいうのかな、違うベクトルのもので、パニコを見ても、ルビナッチの服を見ても、そこにあるのは彼らの中に潜む特殊な“ナポリタニタ(ナポリ性)”だ。

 

 

ラペルのデザインに石津氏の美意識が宿るドッピオペットのコート。アルスターはイタリアでは“ウルステル”という。いい感じにモダンのスパイスが振りかけられているなぁ。コートは¥350,000~。

 

 

 

「アングロフィロの小野雄介さんが『THE RAKE』の中で語っていた、『技術だけなら数カ月で習得できるけれど、職人のマインドはちょっとやそこらで習得できるものではない』という言葉にすごく共感しているんです。ピロッツィの服を見ると、今でも本当に凄いなと思いますし、ICOAをスタートした今、彼らのような服の雰囲気を出せるようになるには、いかに今までの自分を壊していけるかにかかっていると思っています。日本で仕事をしていると、どうしてもきれいに縫うことを求められて、自分でも気が付かないうちに服が変わっていってしまうんですよね」

 

 

続けて彼はこう言った。

 

 

「土臭さへの憧れがあるんでしょうね」

 

 

 

 

 

僕が抱いた疑問の答えが見えてきた。

 

果たして、表現者としての石津氏はナポリを向いていた。

 

やっぱりピーノ・ダニエレじゃないか! 頭の中を、名曲『Napule è』が駆け巡った。

 

 

ナポリを離れるときに作ったナポリの道化師「プルチネッラ」。今まで飾る機会がなかったが、独立してようやく飾ることができたという。これを眺めているだけでなぜか『’O  surdato  ‘nnammurato(恋する兵士)』が頭の中に流れてくる。僕がいちばん好きなのはセルジオ・ブルーニのヴァージョンだ。

 

 

クリーンな仕立てのツイードジャケット。価格はスーツ¥350,000〜、ジャケット¥260,000〜、トラウザーズ¥90,000〜。納期は約6カ月~。

 

 

服が生きてるなぁ。石津氏の服は、着ると生命感が一気に漲るようだ。見るからに柔らかそうで、クリーンでありながらエモーショナル。

 

 

 

「今年はぜひナポリに行ってみたいなと。独立した今、改めてナポリの空気を吸うことで、新しい何かが見えてくるような気がするんです」

 

 

そのとおりだ。ナポリと東京のハイブリッドかのごとく、石津氏の服はナポリの服をソフィスティケイトさせてナポリにはないオリジナリティを確立しているが、今の彼が改めてナポリに行けば、自身の中で長らく眠っていたナポリタニタ(ナポリ性)が呼び覚まされるような気がしてならない。そうしたら、彼の服はどう進化していくのか。そこを一緒に見ていけるのも、今から石津氏の服を仕立てる楽しさのひとつなんじゃないかな、と思っている。

 

 

ピロッツィの工房ではヌンツィオの弟フェリーチェがラジオにブツブツ話しかけながら袖付けと襟の天才的な仕事をこなしているが、石津氏は音楽派。ブツブツは言わない。取材日は晴れていたこともあって、太陽の光が優しく入り、アトリエは非常に心地よかった。

 

 

奥様と旅行で行かれた先で思い出に購入したディターリ(指貫き)。カプリ、イスキア、ソレント、アマルフィ、ポジターノ、ポンペイ、アルベロベッロ、フィレンツェ、ピサ、アッシジ、パレルモ、カターニア、エトナ、タオルミーナ等、ここにあるだけでも、結構な数の街に行っている。

 

 

 

ピーノ・ダニエレを聴いていただければわかると思うが、彼の歌声のように、石津氏の仕立てはクリーンでソフィスティケイトされている。それでいてハスキーだ。が、僕は彼が仕立てたより土着的な服も見たことがある。「今までの自分を壊したい」と彼は話してくれたが、それは決して立ち止まることなく、常に向上心をもって進化を遂げていきたいという、彼の強い気持ちの表れだろう。

 

 

 

今の石津氏の服は、ピーノ・ダニエレの透明感のある歌声、美しい旋律とぴったりはまるが、これからの彼はピーノ・ダニエレが見せたもうひとつの側面、ナポリ弁のブルージーな唄声のような服を仕立てるんじゃないかなぁ。

 

 

コッツェとヴォンゴレはもちろん、サルシッチャ エ フリアリエッリが大好きで、そんでもって得意料理はナポリ式ジェノヴェーゼっていうんだから、もうナポリに完全に毒されちゃってるしね。期待大じゃないか!

 

 

応援しています!

 

 

 

 

 

 

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