セルジオ ゴッツィ的! ビスポーク靴職人、谷 明<Akira Tani>

2020.05.04

フィレンツェ期待の新星ビスポークシューメーカー、AKIRA TANI

フィレンツェのサンタクローチェ地区、リストランテ チブレオからすぐのところにある自宅の一室が谷 明氏の工房だ。ベランダ付きで風通しがとてもよく、扉を開けて仕事をしているだけでも春と秋は格別だ。疲れたときばバールにカッフェを飲みに行くだけで息抜きになるという。

 

 

写真・文 藤田雄宏  Yuko Fujita

 

 

お気に入りはセルジオ ゴッツィ。世の美しい女性を魅了してやまないセルジオ ロッシではなく、セルジオ “ゴッツィ”。サン ロレンツォ聖堂のすぐ脇にある、相席御免、昼営業のみの、フィレンツェで1、2を争うほど力強い料理を出す食堂だ。お気に入りのメニューはTagliatelle al Lampredotto( 牛の第4胃袋のソースをかけたタリアテッレ)。1915年から続く店はいつも満席で、料理はどれもシンプル&豪快、フィレンツェ人の胃袋を鷲摑みにしている。そこでの食事こそが、谷 明氏の活力の源だ。

 

 

ゴッツィのメニュー。アフターアワーズのお客様にはイタリア語のメールアドレスにされている超イタリア好きなんだろうなって方がたくさんいらっしゃるので、イタリア好きの血が疼いちゃうじゃないかなぁ。疼かせちゃってスミマセン!!! 僕もめっちゃ疼いてます。谷氏はここのアリスタも大好きとのこと。Mi Manca Firenzeeeee!

 

 

 

2012年、ビスポークシューメーカーになることを目指してフィレンツェに渡った。

 

最初はSAKというシューメーカーで経験を積み、2013年11月、ずっと憧れていたステファノ ベーメルに入社。約5年半の経験を積んだ。昨年4月に満を持して独立し、サンタクローチェ地区の自宅の一室を工房にして“AKIRA TANI”を始動させた。するとたちまち世界中の錚々たるウェルドレッサーたちから注文を獲得して、ビスポーク靴職人としては最高のスタートを切った。

 

カラダの線は細いが、“ゴッツィ飯”で鍛えられているからか(?)信念は極太だ。靴作りにおいては一切の迷いなく自身のスタイルを確立していて、自信をもってまっすぐ前へ突き進んでいる。力強さに満ち、媚びることなく、気高い。言うなれば、アキラ タニの靴は、セルジオ ゴッツィの料理そのものだ。

 

 

 

こっちがアキラ タニの靴。

 

 

こっちがセルジオ ゴッツィの料理。”Lampredotto in umido con patate e cavolo nero”  ランプレドットのジャガイモと黒キャベツの煮込み 10.5ユーロ。同じ世界観だー!

 

 

 

伝統を大切にした職人としてのメンタリティはローマだと往年のガットやランピン、ミラノだとメッシーナあたりと近しいように思えるが(皆亡くなったしまったなぁ)、フォルムはそれらと大きく異なり、フィレンツェの靴らしいちょっとした色気を宿している。ただ、男らしさに満ちているという点では、両者は共通している。ステファノ ベーメル的な雰囲気があるかについては、ベーメルがまだフィレンツェローカルの薫りをプンプン漂わせていた初期の作品からの影響が感じられる。いずれの点からも、インターナショナルな薫りよりもイタリアの土着性のほうが勝っているところが、アキラ タニの魅力である。

 

 

 

谷氏が好きな靴。左はローマの職人が手掛けたことだけわかっている作り手不明のフランチェジーナ。中央はヴィンチェンツォ・ガット氏とガエターノ・ヴァストラ氏が健在だった頃のガット。右はロンドンのジョン ロブ。

 

 

2014年、ローマのベッピーノ・ランピンさんの工房にて。靴職人の良心みたいな方だったベッピーノさん、惜しくも数年前に亡くなってしまいました。靴の写真、いろいろあるはずなんですが、すぐには見つかりませんでした。自分の写真でスミマセン。出てきたらアップしますね。

 

 

「ローマのクラシックな靴は好きですが、そのデザインには数値化されたものが存在していて、そこがフィレンツェと異なります。私が学んだステファノ ベーメルの靴のパターンにはどこかフランス靴の薫りを感じるのですが、それはフランス人が働いていたことも関係していると思います。ローマほどワイドでないスクエアトウだったり、低いつま先から甲に向かって一気に立ち上がったグラマラスなフォルムだったり。一方で、底回りは厚くどっしりした雰囲気があります。さまざまな国の薫りが混じっていて、フィレンツェのスタイルはこれだって一概には言えないんですよね。フィレンツェの靴には自由があるぶん、シューメーカーごとの個性が強いんです」と谷氏。

 

 

 

旧きよき時代のイタリア靴に敬意を払い、その薫りをうまく取り入れながら、フィレンツェで体得した自身の美意識を同時にうまく落とし込んでいるのが、アキラ タニの魅力だ。人気があるのは圧倒的にダービー。中でも中央のチンギアーレ製エプロンフロントが断トツのいちばん人気。

 

 

ステファノ ベーメル時代は底付けひと筋。それもあって、世界一の底付け職人になりたいと常々思っていたという。だから、独立して自分の名前で靴を作るなんてまったく考えていなかった。大阪のアン ビスポークの西山彰嘉氏とはお互い靴作りを始める前からの友人で、修業を終えてイタリアから日本に帰国したら一緒に靴作りをする約束までしていたほどだ。そんな谷氏のマインドを大きく変えたのが、サルトリア コルコスの宮平康太郎氏だった。

 

 

 

2014年3月に撮影。あれから6年かぁ。谷氏、若い! 左から二番目は井俣久美子さん。今もベーメルで活躍中!

 

 

 

「『 明くん、工房を構える気はなくてもいちど僕の靴を作ってみい』って、注文してくださったんです。1足目のときは採寸するのすら初めての経験でしたが、その後も途切れることなく注文をいただいて。自分が作った靴を人に履いてもらうことがどれだけ嬉しいことか、康太郎さんが教えてくれたんです。康太郎さんは初対面のときから変わらず優しいですし、今も変わらず厳しくご指導いただいてます。あれだけの服を仕立てられる先輩がそばにいるから、私も最高のレベルの靴作りをしなければ、ととても励みになっています」

 

 

 

2018年、フィレンツェのゴルドーニ広場にて夕飯に行く前に足元をパチリ。左が谷氏、右が宮平康太郎氏。どっちもアキラ タニ。

 

 

 

日本にいた頃は何をするにも考えすぎるタイプだったそうだが、イタリアが自身の内面をガラリと変えてくれたと谷氏は話す。

 

「何とかなるかなって、何でもポジティブに考えられるようになりました。イタリアの力ですね(笑)。町の人々の優しさ、景色、建物、ひとつひとつがエネルギーをくれるんです。たくさんの美しいものに触れられ、それを自分の財産にできる環境がフィレンツェにはあります。どんなに仕事に追われていても、ゴッツィの料理が活力を与えてくれますしね(笑)。とても充実していてパワーが漲っています」

 

 

 

ゴッツィで谷氏お気に入りの”Tortellacci alla crema di tartufo e funghi”  トリュフとマッシュルームソースのトルテッリ  8ユーロ。確かにこれを食べていれば、何とかなると思えてくる(気がしないでもない)。

 

 

 

Akira Tani 谷 明
1984年、大阪生まれ。高校卒業後、古着屋で働きながら靴の学校に通う。そのときからの友人だったアン ビスポークの西山彰嘉氏が英国で修業した影響もあり、2012年、フィレンツェに渡る。ステファノ ベーメルに入社して5年半の経験を積み、昨年独立。そのままフィレ
ンツェでAKIRA TANIを始動した。日本では年2回の来日時にオーダー可。トライアルシューズでの仮縫いがあるため、納期は約1年。ビスポークのみで2000ユーロ〜。sumisura@akiratani.com  instagram: akiratani_shoemaker

 

 

 

全行程をひとりで手がけている。

 

 

左はBrio Beijingのジョージ・ワン氏のラスト。

 

 

トライアル用の靴を製作して仮縫いする。

 

 

グッと立ち上がった甲がフィレンツェ的。

 

 

スクエアウェルトで非常に堂々としている。

 

 

写真・文 藤田雄宏 Yuko Fujita

 

 

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