創業110周年を迎えた ナポリの至宝マリネッラの物語①

2024.09.27

マリネッラの創業110周年エキシビジョン "Questa di E.Marinella è una storia vera"

2024年6月14日からソレントのVilla Fiorentinoにて開催されたマリネッラの110周年を記念したエキシビジョン“Questa di E.Marinella è una storia vera(E.マリネッラの、これは実話である)”にて。こ、これはジェノヴァ出身のカンタウトーレ、Fabrizio De Andréの名曲”La canzone di Marinella”の冒頭の歌詞”Questa di Marinella è la storia vera”そのままではないか! これに気がついたとき、Marinellaの”Mediterraneità(地中海性)”にゾクゾクッと感動するものがあった。

 

 

 

文/藤田雄宏

 

 

 

2024年6月26日、ナポリのマリネッラは、創業110周年を迎えた。

エウジェニオ・マリネッラから始まった長編ストーリーの新たなページの綴り手は

4代目を継承した29歳の若きアレッサンドロ・マリネッラ氏だ。

3代目のマウリッツィオ氏が綴ってきた偉大なストーリーをさらに豊かなものにするべく、

アレッサンドロ氏はマリネッラの新たな顔として、煌めく存在感を放ち始めている。

 

 

僅か20㎡ほどのナポリの本店が紡いできたストーリーは、

世界一の美味ともいわれるナポリのカッフェの如く濃厚で、

店を構えるヴィットーリア広場の前に広がるナポリ湾の如く、神が生んだ奇跡だ

 

 

そんな「マリネッラ」の存在は、ナポリ人にとって誇りでもあり、

ときに“Anima”、すなわち心の中に宿る「魂」にすらなる。

 

 

今回、本当に幸運なことに、

6月15日にソレント半島ヴィーコ・エクエンセの“Cava Regia Beach Club”で開催された、

マリネッラの創業110周年を祝う盛大なフェスタにご招待いただいた。

前日には、ソレント市内のVilla Fiorentinoで催された、110年を振り返るエキシビジョンにも参加してきた。

 

 

遡ること10年。2014年には、ナポリのサンカルロ劇場での100周年式典、

そのあとに催された王宮での晩餐会にも出席することができた。

ナポリを愛し、マリネッラを愛する人間にとって、

彼らの歴史の節目に立ち会うことができたのは、無上の喜びである。

 

 

 

 

フィレンツェ朝6時ちょうど発の超特急「FrecciaRossa(フレッチャロッサ)」は、定刻どおりに午前9:13にナポリ中央駅に到着した。

移動の通過点として降りるローマ テルミニやミラノ中央駅とは異なり、自分の中で到着後の“儀式”を設けているナポリ中央駅は、

降り立った瞬間からいつも異様な高揚感をもたらしてくれる。

 

ナポリ中央駅前のガリバルディ広場は、相も変わらず無秩序なクラクションが鳴りやまない。

が、カオスなナポリにすっかり慣れた今となっては、ナポリにやってきたことを実感できる非常に微笑ましい光景だ。

一瞬立ち止まって広場の真っすぐ先にあるビルの上に高々と掲げられたKIMBO(ナポリのコーヒーメーカー)の大きな看板を一瞥し、

凸凹したアスファルトの上をスーツケースを引きずりながら、脇目も振らずに「Bar Mexico(Passalacquaが経営するバール)」へと向かった。

そこで注文する1杯のカッフェこそが、僕がナポリにやってきた際に必ず執り行われる儀式である。

カウンターに出されたコップ一杯の水をグビッとひと飲みし、カップをクルクル回しながらナポリきってのおいしいカッフェをありがたく味わった。

ナポリのバールではカッフェと一緒に水も出されるが、その水で口内をきれいにしてからカッフェのアロマを楽しむのがナポリでの流儀だ。

カッフェを飲んでから水を飲んでしまっては、せっかくの余韻が消されてしまうからだ。

 

 

さて、一杯のカッフェでナポリ脳へとスイッチ切り替えた僕は、タクシーに乗ってマリネッラの店があるヴィットーリア広場へと向かった。

 

 

この日も店の前にはマウリッツィオ・マリネッラ氏が立っていた。

そして、20㎡の店内は、相も変わらず客でごった返していた。

店内には常に5~6名のスタッフがいるが、3~4名も客が来てしまうと、傍から見るに明らかなカオス状態となってしまうのだ。

これぞ 、マリネッラの風物詩。

ナポリのマリネッラを訪れた際にはぜひ見てもらいたい、2024年現在の今となっては大変貴重な光景である。

 

 

とてもではないけれどその状況で一階に長居はできないので、

同じパラッツォの、店の脇にある門を入って階段を上ったところにある2階のショールームへ足を運んだ。

1階とは打って変わって広々としており、ネクタイだけでなくアウター類やシューズ、カバンなども並んでいて、非常に快適だ。

もちろん、誰でも入れて、誰でも買い物できる。

 

 

ここで旧知のスタッフたちと会う。レアンドロ・リモッチャ氏、ラッファエーレ・カパレッリ氏、そしてフィリピン人のトミーさんことトーマス・ドロー氏

と世間話に興じる。

このひとときが、なんとも心地よい。

ナポリに行った際、マリネッラの店は、まず最初に戻ってくるほど外国人の僕にとっても心地よい空間なのだから、

地元ナポリの人たちにとって、マリネッラの店がどれだけ心地よい空間であるのか、想像するのは難くない。

 

 

 

今も1914年の創業時と同じリヴィエラ・ディ・キアイア287番地に構えるマリネッラの本店。1階は僅か20㎡だが、向かって左の門をくぐって階段を上った2階にショールームがあり、そちらでゆったりと買い物ができる。

 

 

 

 

さて、マリネッラの皆に挨拶を済ませたところで、徒歩7-8分の距離にあるアントニオ・パニーコ氏のサルトリアへ向かった。

パニーコ師匠にオーダーしていたダブルのスーツの納品ついでに、マリネッラのパートナーであるSDIの藤枝惠太氏、SUN/kakkeの尾崎雄飛氏と合流するためだ。

 

 

1941年生まれのアントニオ・パニーコ師匠。師匠の着こなしにはシャツの襟やカフなど細部にまでこだわりが宿っており、それがパニーコ流エレガンスを醸し出す。この日はネクタイは締めていなかったが、パニーコ氏はノットにも彼なりの美意識をもっている。ちなみにマウリッツィオ・マリネッラ氏をSDIの創業者である藤枝大嗣氏に紹介したのはパニーコ氏だという。それがきっかけとなって生まれたマリネッラとSDIの長年にわたるパートナーシップは、今日まで強固な絆で結ばれて続いている。SDIの社長である 藤枝惠太氏は、2008年、ナポリ本店のマリネッラの販売員として働いていたこともあり、藤枝氏を見るパニーコ氏の優しい眼差しがとても印象的だった。

 

 

さて、宝物となるであろう素晴らしいスーツを受け取ったあとは、ナポリのキアイア地区をのんびり散策してからお気に入りのTrattoria San Ferdinandoでランチをし、愛するGrand Hotel Parker’sにチェックインし、この日から開催されるマリネッラの110年の歴史を振り返るエキシビジョンのオープニングレセプションに参加するべく、3人でソレントに向かったのだった。

 

 

 

何を食べてもおいしいTrattoria San Ferdinandoの中でも、特にお気に入りなのが、Pasta e Patate con Provola(パスタ・エ・パターテ・コン・プローヴォラ)だ。ジャガイモとプローヴォラ(燻製モッツァレッラ)を煮込んで残りもののショートパスタを和えたナポリの典型的な郷土料理だが、特にここのは美味!

 

 

 

食後は近くのVico TofaにあるBar Mastracchioで、名物のCaffè Caldo Freddo(カッフェ・カルド・フレッド)を。フォームミルク、エスプレッソにバニラジェラートを層にして上にチョコレートをかけたもの。それぞれの風味と温度を楽しむべく、かき混ぜずに味わう。カッフェが好きな人に、ぜひ行ってほしい店。

 

 

6月14日からマリネッラの110周年の歴史を振り返るエキシビジョンが開催されたソレントのVilla Fiorentino。

 

 

エキシビジョンのタイトルは、”Questa di E.Marinella è una storia vera”。日本語に訳すと「E.マリネッラの、これは実話である」となるが、言い得て妙である。マリネッラが110年の間に歩んできた歴史は、まるで奇跡としかいいようのないものだからだ。俄かには信じがたい、でもここに展示されたすべてが、マリネッラの“真実”を物語っているのである。

 

 

 

左から、エキシビジョンのキュレーターであるミンマ・サルデッラ氏、マウリッツィオ・マリネッラ氏、ソレント市長のマッシモ・コッポラ氏、アレッサンドロ・マリネッラ氏、ソレント財団の理事長ガエターノ・ミラーノ氏。

 

 

偉大なマリネッラの110年を振り返る

 

1914年、初代エウジェニオ・マリネッラによって、ヴィットリーア広場に面したリヴィエラ ディ キアイア 287番地にオープンしたマリネッラの店は、20㎡の店内すべてが英国製品で埋め尽くされていた。ナポリのジェントルマンの英国趣味に従って、エウジェニオ氏自身が家具を揃え、フローリスやペンハリガンのオーデコロン、ロックの帽子、アクアスキュータムのコートなどが並び、それらはいずれも初めてイタリアに輸入されたものだったという。当初のマリネッラは英国製品を扱う店であり、さらにいうと、主力アイテムはネクタイではなくシャツだったのだ。その後、エウジェニオ・マリネッラは既製品のシャツを販売するだけでは飽き足らなくなり、パリからシャツ職人を招き、工房の職人に裁断技術を習得させたという。そこで培われた職人技術をもとに生まれたのが、7つ折りのネクタイで、そこからさらに発展させたのが、今日に続く精巧な仕立ての共裏のネクタイである。ナポリの自社工房で仕立て始めた当初から今日までずっと変わらないのは、英国製のプリントシルクを用いていることだ。

 

1914年創業当時のマリネッラ。今と同じVia Riviera di Chiaia 287番地にオープンした。同じくルビナッチもマリオ・タラリーコも創業地から場所を移しているが、マリネッラだけは今も同じ場所に構えている。

 

1914年、ナポリの日刊紙『IL GIORNO』のコラムMOSCONIにて、作家でジャーナリストのマティルデ・セラーオがマリネッラの店のオープンを祝っている。「我々の素晴らしいシャツメーカーのエウジェニオ・マリネッラによって、ピアッツァ・ヴィットーリアの287番地にマリネッラの店がオープンした」とある。

 

創業当時のさまざまなアーカイブも展示されていた。

 

 

110年の歴史を持つE.マリネッラのネクタイは、イタリアの著名人が着用することで名声を得ていった。政治家は1948年にイタリア共和初代大統領に就任したエンリコ・デ・ニコラに始まり、フランチェスコ・コッシーガ、 シルヴィオ・ベルルスコーニ、“ジュリオおじさん”ことジュリオ・アンドレオッティ、映画界ではマルチェロ・マストロヤンニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカなど、名だたる著名人の首元を飾ってきた。 ケネディ家以降、E.マリネッラのネクタイはホワイトハウスやエリゼ宮にも愛用された。  海外での最も有名なサポーターは、英国王チャールズ3世である。 2017年にナポリを訪れたカミラ夫人はナポリの本店に赴き、アーカイブ・コレクション(1930年から1990年までのデザインを復刻し、再提案している)の中から、国王の誕生年である1948年の生地をいくつか選んだ。 スポーツ選手では、史上最高のバスケットボールプレイヤーのひとりであるマジック・ジョンソンも顧客である。 彼のネクタイは通常のものより65センチ長く作られている。

 

 

ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア、元イタリア首相フランチェスコ・コッシーガ、元アメリカ大統領ドナルド・トランプ、元イタリア首相ジュリオ・アンドレオッティからの礼状。

 

ラニエーリ・ディ・モナコ(レーニエ3世)、ジョージ・ブッシュ元アメリカ大統領、ビル・クリントン元アメリカ大統領、ゲアハルト・シュレーダー元ドイツ首相、ナポリが生んだ映画監督フランチェスコ・ロージ、そしてジョルジオ・ナポレターノ元イタリア大統領からの礼状。

 

上の写真にもあったフランチェスコ・コッシーガは、1985~92年までイタリア共和国第8代大統領を務め、マリネッラのネクタイが5本入った箱を各国首脳への公式訪問の際の贈り物としていた。その流れから、1994 年にナポリで開催された G7 において、当時の首相だったシルヴィオ・ベルルスコーニは、すべての国家元首にマリネッラのネクタイ6本が入った箱をプレゼントしたのだ。マリネッラからのプロモーションではないのにホスピタリティの塊であるマリネッラのネクタイが選ばれたのは、奇跡であるいっぽうで必然だったのかもしれない。そこからマリネッラはさらに世界にその名が知られるようになっていったのだ。写真は2003年12月に発刊されたマリネッラの本『Cinquantadue nodi d‘amore』より。マリネッラを愛する52名がここに登場しているが、最初を飾ったのは、フランチェスコ・コッシーガだ。

 

左から、スペイン王フェリペ6世、カルロ・ディ・ボルボーネ・ドゥエ・シチリエ(カストロ公)、サッカーセリエA インテル 2010年 オフィシャル、テニスのデビスカップ オフィシャル、そして、英チャールズ国王。チャールズ国王のネクタイは、左が国王の生まれ年である1948年のアーカイブコレクションの生地から選んだものである。

 

 

マリネッラの象徴であるプリントタイに使用されているシルクは、伝統的な手法によって英国でハンドプリントされているものだ。インクジェットではなく、柄を構成するさまざまな色の染料を、個々のスクリーンを何度も使用して型押ししていく。職人の手によるこの伝統的な技術を護るため、マリネッラは2017年にAdamley Textiles社の筆頭株主となったという。

 

 

写真左/向かって左が2代目のルイージ・マリネッラ、右が創業者のエウジェニオ・マリネッラ。写真中央/向かって左が3代目のマウリッツィオ・マリネッラ氏、右がルイージ・マリネッラ。写真右/向かって左が4代目のアレッサンドロ・マリネッラ氏、右がマウリッツィオ・マリネッラ氏。父から子へ、父から子へ、そして父から子へ。それぞれの世代で“マリネッラ”を大切に育て、今日まで110年という偉大な歴史を積み重ねてこれたのは奇跡だ。ネクタイを結ぶように、父から子へ4世代にわたってストーリーを結び続けているのだ。

 

 

110年前の初日の夜から変わることのない、リヴィエラ・ディ・キアイアにある歴史的な“小さな宝石箱”の中身をここで知ることができた。マリネッラは今日、ナポリだけでなく、ミラノ、ローマ、トリノ、ロンドン、東京にもショップをオープンし、新たな挑戦のステージに立ち、もちろん伝統を守りながら、でもそれだけではない魅力的な新しさを見せるブランドになろうとしている。

 

そして、今、バトンは1995年生まれの29歳、4代目となるアレッサンドロ・マリネッラ氏へと渡された。父マウリッツィオ氏がそうだったように、アレッサンドロ氏も小さい頃から店にいる父の背中を見て育ってきた。ナポリの伝統という重責を背負いながらも、彼は見事な舵取りをしていくに違いない。マリネッラの歴史はそのようにして今日まで結ばれてきたのだから。

 

 

※次回の記事は、Cava Regia Beach Clubでの創業110周年記念パーティーが舞台。

「創業110周年を迎えたナポリの至宝  マリネッラの物語②」は、10月4日に公開予定です。

 

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