時代をキャッチした偉大なるミスター・クラシック ユナイテッドアローズ 太田裕康氏

2020.10.07

ユナイテッドアローズ SOVEREIGNブランドディレクター/バイヤー 太田裕康氏インタビュー

太田裕康 Hiroyasu Ota

ユナイテッドアローズ SOVEREIGNブランドディレクター/バイヤー。1969年神奈川県生まれ。学生時代にユナイテッドアローズ 原宿本店にてアルバイト勤務からキャリアをスタート。その後、社員になりザ ソブリンハウスの立ち上げに参画。店長、バイヤーを経て現職。趣味はフライフィッシング、ライフワークは剣道。時計好きとしても知られている。

 

 

 

サルトリア ダルクオーレのダミアーノ・アンヌツィアートとクリスティーナ・ダルクオーレ夫妻が

 

世界中のバイヤーの中で抜群にセンスのいい生地選びをする人物として真っ先に名前をあげ、

 

彼らから特に愛されているのが、“オータ、オータ”と呼ばれているユナイテッドアローズの太田裕康さんだ。

 

サンカルロ劇場のすぐ隣にあるナポリきっての老舗カッフェ“ガンブリヌス”のテラス席でご一緒した太田さんの姿は

 

パッと見フツウなんだけれど何かが異なるエレガントさを放っていて、

 

パニコで仕立てた服を着た隣のテーブルのイタリア人紳士から、

 

あのエレガントなジャポネーゼは誰なんだとひっそり聞かれたことがあるほどだ。

 

今までに何度か取材させていただいたことはあるが、これだけしっかり話を聞けたのは今回が初めてである。

 

服を突き詰めた人の話は、やはり最高に楽しい。

 

そして、大きな大きな収穫がある。(藤田)

 

 

 

原稿/早島芳恵  撮影/藤田雄宏

 

 

 

 

 

―最初に太田さんがファッションに興味を持ったきっかけから教えていただけますか?

 

太田氏(以下敬称略) 私が小学校高学年のとき、6学年上の姉が高校生で当時『Fine』を読んでいたんですね。そんな姉のおさがりをよく着ていました。スウェットにコーデュロイパンツを合わせたり、アディダスの「サモア」という紺に赤のラインが入ったスニーカーを履いてスタジャンを着て学校へ通っていました。姉と同い年の従兄からも、おさがりでVANのブルゾンやランチコートなどをもらって着ていましたね。

 

 

―小学生でランチコートですか!

 

太田 母が百貨店のネクタイ売り場で働いていたこともあって、お洒落には敏感だった気がします。そんなことも影響しているのかもしれません。叔母が海外出張のお土産にPAN AM(パンナム航空)のバッグを買ってきてくれて、小学3年生くらいから、ランドセルではなくそれで学校に通っていました。風変りな子どもでしたね。

 

それと自分、小学生の頃はぽっちゃりしていたんです。6年生のときなんか、塾に行く前に食べて、塾でお弁当を食べて、帰宅してまた食べる、みたいなことをしていたので、さらに太ってしまって。中学生になって、当時の『中一コース』か『中一時代』のどちらかの雑誌だったと思うのですが、太っている子にはアイビーが似合う!という記事を偶然読んだんです。それが頭の隅に残っていて、中学3年生の春に本屋で『メンズクラブ』の30周年記念号を立ち読みしたときにカルチャーショックを受けまして。ああ、僕はこの服を着るんだ、と。

 

それまではお洒落をしているという意識はあまりなく、与えられた服を着ていたんですけど、このときからお洒落をするということを意識し始めました。

 

 

―天の声が聞こえたわけですね(笑)。具体的に、そのときのファッションはどんな感じだったのでしょうか?

 

太田 完全にアイビーでした。表紙が赤いブレザーで、ブレザーにショーツといったスタイルや、ボタンダウンシャツやデッキシューズなどが載っていて、わー、大人って超かっこいいじゃん、って衝撃を受けました。それで姉とブルックス ブラザーズの青山本店に行って、クレイジーストライプのシャツとチェックのシャツを購入したんですけど、そこからアイビー一直線。友達と遊びに行くときもブレザーにボタンダウンシャツ、ブラックウォッチのパンツ、キルトタッセルの靴を履いていました。

 

ただ、高校に進学すると剣道部でボウズ頭にしないといけなくなりまして。今のお洒落ボウズとは違い、これがまたアイビーファッションと合わないんですよね(笑)。そこから学ランを着て外出するようになりました。そんなときに友人のお兄さんから「まだ高校生なんだしアイビーじゃなくてアメカジがいいんじゃないの?」とアドバイスを受けて、原宿の古着屋に通いだしたんです。それからはどんどんアメカジに傾倒していきました。

 

キラー通りにあったエミスフェールを知って通いだしたのもその頃です。高校生の自分には高価なものばかりでなかなか購入できませんでしたけど、きれいな色のカシミアニットやオルテガのヴェストやオールデンが並んでいたり、こういう組み合わせがあるんだって驚かされましたね。

 

学校では禁止されていたダッフルコートや友人たちと作ったブルゾンを着て通学し、靴はクラークスのワラビーやデザートブーツを合わせていました。学ランの中にピンクのボタンダウンシャツを着て登校しては剣道部の先生につかまって脱がされる、の繰り返しでしたね。

 

 

―期待していたとおりの話の展開になってきました(笑)。

 

太田 当時の私の教科書は『メンズクラブ』で、学校の勉強はそっちのけで、ウイングチップって?、とかシェトランドって?、といった感じで授業中も夢中になって読みふけっていました。高校時代の先生にお会いして近況を報告したときは、太田は昔から服が好きだったもんな、と妙に納得されたほどです。中高時代は完全にアメリカ東海岸と西海岸のファッションでしたね。

 

高校卒業後は服飾関連の学校に進みたかったんですが、父からは大学進学をすすめられ、全く勉強していなかったので、当然のごとく浪人しました。それでも専門学校への入学をあきらめきれず、こっそりアルバイトをして専門学校の入学金に充てようと貯めていました。その貯めたお金を握りしめながら父に頭を下げて、ようやくエスモードジャポンという専門学校に入学することができたんです。総合科に入学したので、パターンをひいたり縫製をしたり、いろいろやりました。周りの皆は絵が上手かったり手先が器用だったり得意なことがあるんですが、私はミシンを使ったこともなければ、絵も下手といった感じで四苦八苦しましたね。それと学校に通いだして驚いたのは、みんなヨウジヤマモトやコムデギャルソンを好きな人ばかりだったことです。もしくは、少数派ですがモッズかコスプレ派みたいな人。私みたいなアメカジはほかに1人くらいしかいなかったです(笑)。

 

そんななか2年生のあたりからドルチェ&ガッバーナやドリス ヴァン ノッテンなどのアンコンジャケットが流行りだして、これはいいな、と思い、バーニーズ ニューヨークやインターナショナルギャラリー ビームスに通いだしてデザイナーズものも見るようになりました。ドリスのアンコンジャケットに、ニッカボッカと編み上げのブーツを合わせたりしていましたね。それまで大好きだったアメリカものはあまり着なくなって、デザイナーズにどっぷり浸かっていきました。

 

ユナイテッドアローズにも通い始めたのは、3年生になってメンズ専攻になり、さらにいろんな店を見て回るようになってからです。UAの服は高価で買えないものが多かったのですが、何も買わなくても店を出る時に「ありがとうございました!」と快活に言ってくれて、買っていないのにありがとうございましたって言ってくれるんだな、こんなところで働きたいなという気持ちが強くなりました。そんなときに原宿本店でアルバイトの募集があり、すぐさま面接を受け、次の日からアルバイトを始めたのが私のUA人生の始まりです。

 

最初は地下のフロアで働いていたのですが、学生で、しかも卒業コレクションの課題があったため、週1日くらいしかアルバイトできなかったんですね。それでも当時の原宿本店の店長が推してくださっ

て、そのまま働き続けることができ、93年に学校を卒業してからは週5日勤務でアルバイトをしていました。そして社員になったのが95年です。

 

 

―ユナイテッドアローズに入って、カルチャーショックなどはありましたか?

 

太田 ドレスとデザイナーズをミックスして着こなしていて、そのあまりのカッコよさに驚きました。それまで自分はアイビー、プレッピー、アメカジ、デザイナーズときたのですが、そういった垣根がないんです。古着のGジャンにきれいな色のボタンダウンシャツ、オルテガのヴェストを着てグレーのトロピカルウールパンツにスエードシューズといった感じで古着とドレスを上手く合わせていて、ハズしているんだけれど完璧な装いに大変なショックを受けましたね。自分も見よう見まねでオリジナルスーツやイザイアのジャケットの下にデザイナーズのポロシャツを合わせたり、カバーオールの下にポロシャツ、きれいなウールパンツにローファーといった組み合わせをしたり、いろいろ挑戦してみました。ユナイテッドアローズに入ってからはさらに服を買ってばかりでしたから、会社にはだいぶ還元していましたね(笑)。

 

今の私はどちらかというとドレスのイメージをお持ちだと思いますが、当時はデザイナーズ売場の担当だったんです。まだアルバイトだった95年の1月、一度フィレンツェのピッティ・ウォモに行ってみたいんです、と当時バイヤーだった鴨志田に伝え、自腹で初めてピッティに同行させてもらいました。クラシコイタリアという言葉がまだ日本に浸透していなかった時代で、イザイア、ベルヴェスト、キートン、マロなど、とにかく華やかで眩しい存在でしたね。

 

イタリア人は紺のスーツにブルーのシャツにネイビーのタイといったフツウのものをフツウに着ているだけなのに、なんでこんなにかっこいいんだろう、というのが衝撃でした。自分が通ってきたアメリカの着こなしとは少し違って、色っぽさもあって。そこからですね、イタリア一辺倒になっていきました。

 

同じ年の夏に再度自腹でピッティに同行させてもらったのですが、そのときは既に社員になっていたので有給休暇を使ったんです。さらに翌年の夏も同じように行って有給休暇を使い果たした26歳のとき、肺炎にかかり1カ月休まなければいけなくなったんですが、見事にすべて欠勤扱いになり、給料が9800円だったことがありました。

それでも、私は自分が見て感じたことをお客様にお伝えしたいという思いが強かったですから行ってよかったなと思っています。

 

 

―素晴らしいですね! 経験という財産は後の自分に生きてくるものだと、自分も実感しています。

 

太田 話は変わりますが、そんな当時のある夜、インクブルーのスーツに白シャツを着た鴨志田が原宿の明治通りを渋谷に向かって歩いているのを見かけたんですけど、スーツが上品な艶を放っていて最高にカッコよかったんです。本人に聞いたらリヴェラーノ&リヴェラーノで仕立てた服だというので、次回フィレンツェに行った際にはリヴェラーノを訪ねたい! と憧れがフツフツと湧いてきました。

 

初めて訪れた当時はルイージさん(アントニオさんの兄)と奥さん、アントニオさんが営んでいた小さなお店だったのですが、カッコよすぎて衝撃的でした。これは絶対に作らないとと思い、そこで初めてスーツを仕立てました。それからは行く度に仕立てるようになりました。仮縫いがあるからまた行かなければならないじゃないですか。で、行くとまた作るといったループにはまっていきましたね。もう、リヴェラーノ貧乏になるんじゃないかと思いました。

 

若かったからというのもあるんでしょうけど、いま振り返ると本能のままに行動していたように思います。

 

 

―すごいパッションだ! 今日の「UA 太田裕康」はこうして形成されていったわけですね。

 

太田 とにかく販売力を磨くためにそんな感じで自腹で繰り返し出張に同行していたら、あるとき銀座のメンズの店を作るからお前にその店に行ってもらいたいと、こっそり鴨志田に言われたんです。それが銀座店で、今のザ ソブリンハウスになります。

 

97年に銀座店に移り、しばらくしてから店長兼任でバイヤーとして初めて会社の経費でイタリアに行きました。1999年、30歳のときです。ちょうどクラシコイタリアブーム真っ盛りの頃ですね。出張ではフィレンツェだけでなく、ナポリやパルマなどにも足を運びました。イタリアの人たちのかっこよさはどこから生まれたものなんだろう?と思いながら、夜遊びするときもスーツを着て葉巻を嗜んだりしていましたね。

 

ただ、スーツやシャツはイタリアものであっても、靴は英国もので、ジョンロブの「ロペス」や「リオ」などのローファーを好んで履いていました。あとはエドワード グリーンも好きでした。

 

 

―クラシックに傾倒していったのはイタリア出張がきっかけだったんですね。

 

太田 そうですね。当時のピッティにいたイタリア人の、シンプルな中に色気があるところにカッコよさを感じたんです。フツウの服をフツウに着ているのがいいんですよね。そこから奇抜な服は買わなくなりましたし、(普通に見える)そういった服だけになっていきました。

 

 

―ところで太田さんが考えるユナイテッドアローズらしさって、どんなところにありますか?

 

太田 基本、トラッドなんですが、そこに現代的なデザインのものを差し込むのがユナイテッドアローズらしいのかな、と思います。全身ゴリゴリのクラシックっていう人もいないんじゃないでしょうか。上手くミックスしていますよね。

 

例えば、プラダのニットポロにインコテックスのパンツとか、一見どこの服を着ているのかわからない、これ見よがしでない品のよさがユナイテッドアローズらしさなかなと思います。

 

 

―それは太田さんご自身も意識されていますか?

 

太田 とても意識しています。洋服屋っぽいね、と言われるのが本当にイヤなんです。

 

丸の内って元々ファッションの街ではなかったじゃないですか。そこへファッション業界が進出していった。それでそういうお店の人たちが多くなったわけですが、彼らは遠目から見てもすぐにファッション関係者だってわかるんですね。そうはなりたくなかった。フツウの格好なんだけれどなんかちょっと違うよね、というのを意識しています。変わった格好をするのはお洒落に見えるかもしれません。でもその格好でお客様は会社には行けない。フツウの服なんだけれど、サイジングやパンツの丈などでお洒落に見える。そういったことをお客様にお伝えするのが自分たちの役目だと思っているので、私はそういったことに重きを置いています。

 

そう思うようになったのは、やはりフツウの服を誰よりも格好よく着ている鴨志田からの影響が大きいと思います。

 

 

―太田さんから見てユナイテッドアローズでカッコいいと思うメンバーは誰ですか?

 

太田 筆頭に挙げられるのは、重松、栗野、鴨志田ですね。今はもう退社されたんですが、同じ創業メンバーの水野谷さんもカッコよかったですね。皆さんキャラクターが異なりますが、それぞれカッコいい。

 

 

―クラシックの世界にいると、年長者に憧れるというか自分のスタイルをもったカッコいい人が多くいますよね。

 

太田 逆に若い人だと僕の右隣の席に座っているバイヤーの豊永もカッコいいですよ。彼も昔は自腹で栗野の出張についていっていました。根はトラッドなんですが、どちらかというとパリっぽい、BCBGっぽい。フツウなものをフツウじゃなくこなせるのが豊永ですね。

 

席が左隣のバイヤー 内山もお洒落です。キャラが濃い(笑)。不思議な服でもこなせてしまうのが彼の魅力です。

 

 

―ユナイテッドアローズ以外では?

 

太田 アフターアワーズさんでも取材されていましたが、ビームスの設楽基夫さん、それと信濃屋の白井俊夫さんですね。白井さんに関しては、あの時代にあのスタイルで着こなしていらっしゃったのは次元が違うというか。

 

あとは僕がUAに入る前からインターナショナルギャラリー ビームスにいらした方々はカッコよかったですね。青野賢一さんを筆頭に、なんか皆イカしているんですよ。ヨーロッパ感が出ていて、とにかくカッコよかったですね。

 

 

―話は変わりますが、自分の中で太田さんはアンティークウォッチ好きというイメージが強くて、誰もが知っているプレミアムものではなく、これから来そうな時計を絶妙なタイミングで手に入れていて、そのセンスのよさにいつも感心しているんです。

 

太田 自分ではそんなつもりはないんですけど、確かにタイミングというのはありますよね。今日着けている時計を含めて6本所有しています。

 

 

―ご紹介をお願いできますか?

 

 

太田 まずは、30歳の夏の出張中にパリの左岸の小さい時計屋さんで15万円ほどで手に入れたジャガー・ルクルトのボーイズサイズのダイバー。これは他では見たことがなく、調べてもどこにも出てきません。フランスかアメリカの海軍が使っていたものだそうです。当時、IWCのポルトギーゼを愛用していたのですが、自分の腕にはややサイズが大きいと感じていたときにこれを見つけたんです。リダンされているのでオリジナルではないですがとても気に入っていて、今はNATOのナイロンベルトを付けています。

 

もうひとつは、アリストの2つ目クロノグラフです。『ヴィンテージライフ』という雑誌を見ていたら、大阪の船場センタービルに「ネクタイまるか」というお店が紹介されていて、そこのご主人が趣味で時計を集めている時計をお譲りします、という形で販売しているとのことで、大阪に行った際、いろいろ教えてください、とその店を訪ねたんです。バブルバックやクロノグラフが好きです、と伝えたところ、いくつか出してくださった中の1本がこの時計でした。無名のブランドですけど、当時のロレックスやパテック フィリップにも使われていた「バルジュー23」というムーブメントが入っています。

 

それで、買うつもりはなかったのに、3万円置いていきます、次に着たときに残金は支払うのでキープしておいてください、とついつい言ってしまいました。35万円くらいだったと思います。手巻きできちんと動くし、ブルーの針が上品で、これもとても気に入っています。40年代のものですが、この時代の2つ目クロノグラフの人気が最近上昇しているようですね。

 

 

 

ロレックスのGMTマスターは、10年ほど前に手に入れました。当初、エクスプローラーⅠが欲しかったのですが、既にとても高価だったんです。そんなとき、知人から知り合いの宝飾店にGMTがあるんだけど買わない?と声をかけてもらったんです。私は69年生まれなんですけど、ちょうど70年製造のものだったので、1年違いだしいいかなと思ってふたつ返事で購入しました。一時はこればかり着けていましたね。

 

 

パテック フィリップは7、8年前に手に入れました。創業者の一人がザ ソブリンハウスに買い物に来て接客をしていたんですね。そのときにその方にパテックが欲しいからクルマを売ろうと思っている、という話をしたところ、俺、持っているから譲ってあげるよ、買った当時の値段でいいよ、と言われたので、それも速攻で買ってしまいました。イエローゴールドのものは見かけるのですが、ホワイトゴールドはほとんど見かけません。Ref3425で、機械は27460。30年ほど前のものです。

 

 

 

そして、ロイヤル オーク。ウチの六本木ヒルズ店に入っている時計店の方にオーデマ ピゲが欲しい旨を伝えたところ、1本面白いのがあるよ、と言われまして出合った一本です。クォーツでゴールドのオーデマ ピゲを着けているお客様がいて、薄いからシャツの邪魔にならないし、時間を合わせる手間がない、という話を聞いていたこともあって、クォーツですけど悩まず購入しました。

 

ニック・ファルドが90年にマスターズと全英オープンを制覇したのを記念して92年に世界限定250本で発売された「チャンピオンシップ」というモデル(ケース径33mm、クォーツ)で、レアメタルのタンタルとステンレススチールとのコンビです。クォーツなので薄いにもかかわらず、ずっしり重みがあります。

 

 

―素晴らしいコレクションですね! 時計以外でずっと愛用されている定番品はありますか?

 

太田 クラークスのワラビーとデザートブーツ、L.L.ビーンのビーンシューズの3足は中学3年生からずっと履いています。何足も履き潰してもう何代目になるのかな? ちょっとしたこだわりとしては、持ってきたデザートブーツはクレープソールからビブラムソールに張り替えてあります。ワラビーはいちばん好きなモデルです。ユナイテッドアローズで別注のワラビーを扱っていることもあり、コットンスーツの足元に合わせている人もいますね。

 

 

―定番とは逆に、太田さんはトレンドをどのようにとらえていますか?

 

太田 私はスーツはほとんどオーダーなのですが、形は基本的にはすべてお任せしています。形はクラシックだけれど色をモダンに見える黒のリネンにしてみる、というようなことはありますが、サルトリアで仕立てるときに形をいじることはほとんど意識はしていません。

 

商品に関して言えば、クラシックなものの型をトレンドに寄せていじってしまうと、お客様が取り入れにくくなってしまうと思うんです。パンツのシルエットを変えてしまうのでなく、素材やディテールで変化をつけるようにしています。例えば今秋冬のロータでは、通常ならグレイのフランネルのものをブラックにしてちょっとモダンに見せたりしています。

 

 

―おお、それ、太田さんらしいというか、最高にクールですね! 服のサイズ感へのこだわりはありますか?

 

太田 剣道を長年続けているため、肩周りが大きいのと肩に対してウエストが細いため既製のスーツが合わないということもあり、肩がきれいに見えるよう心がけています。パンツの裾に関してはくるぶしから少し上か下、上下1cmくらいのどちらかにしています。あとはヒップがきれいに見えるかどうかも気にしています。ヒップの上に筋肉がついているので、横から見たときにヒップからワタリ、裾にかけてのラインをきれいに出せるよう気をつけています。

 

 

―シャツのサイジングに関してはいかがでしょう?

 

太田 シャツはストレッチ性がないぶん、ある程度ゆとりがないと駄目ですね。ネックは指1本入るくらいのゆとりを持たせています。肩周りはきちんとはまり、袖にかけてテーパードしているものが好きですね。ダボダボとは違う、要所はきちんとしているゆとりが必要だというのが私の考えです。

 

今日も着ていますが、ピンホールカラーやタブカラーが好きで、あとはレギュラーに近いワイドカラーを着ています。ボタンダウンを着るときも、ボタンを外してコンパクトに見せています。襟をピンで留めるのも好きですね。装うのなら、ちょっとしたところに洒落感を出したい。だからダブルカフスシャツも好んで着ます。男性はあまりアクセサリーを付けることがないですけど、昭和のおじさんはカフリンクスなどでお洒落をしていましたよね。そういうのって素敵だなと思います。

 

 

―テーラードにおける生地でのこだわりはありますか?

 

太田 以前に比べて柄ものを着なくなりました。ジャケットはハウンズトゥースなども着ますが、スーツはほとんど無地です。そのぶん生地そのものにこだわるようになりました。冬なら日本の気候を考えて、梳毛フランネルを着るようになったりと。

 

 

―確かに梳毛フランネルは新しい流れですよね。太田さんにとってのサルトリアヒーローは誰でしょうか?

 

太田 やはりアントニオ・リヴェラーノさんです。時代感をきちんと出しているのと、しっかりしたハウススタイルがありながら、時代によってそれを微妙に変えているところもすごいなと思います。

 

 

―着こなしでカッコいいと思う人はいますか?

 

太田 英国のサイモン・クロンプトンさんは現代的な着こなしをしているなと思います。ファッション過ぎないフツウの感じで嫌味がない。あとはお亡くなりになってしまいましたが、リデアの田島淳滋さんもご自身のキャラクターを生かした着こなしをされていらっしゃいましたよね。それとキャンディーの田島雄志社長もアンダーステートメントで素敵だなと思います。アンダーソン&シェパードをとても上品に着こなしていらっしゃいますよね。

 

 

―お気に入りのサルトリアはやはりリヴェラーノ&リヴェラーノでしょうか?

 

太田 そうですね、リヴェラーノ&リヴェラーノになります。ただ、最近はダルクオーレもよく着ています。ナポリらしいですよね。初めてダブルの既製のスーツに袖を通したときに、あまりのカッコよさにオーダーしてしまい、そこから好きになりました。日本人のずんぐりむっくりした体型にはイタリアのサルトが仕立てた服って合っているんじゃないかなと思います。あとは神戸のコルウも好きですね。

 

 

―オーダーする際に気をつけていることはありますか?

 

太田 ディテールがあまり立たないよう、出来るだけシンプルにしています。どこのものを着ているのかわからないくらいが理想です。

 

 

―生地見本から選ぶのって慣れていないとなかなか難しいと思うんですが、留意すべきポイントはどこだと思いますか?

 

太田 生地見本だけを見て選ぶ場合、お客様は派手なものを選びがちなんですね。出来上がりが想像していたより派手だった、という失敗が多いんです。大体の色、素材、柄だけ希望を伝えてあとはお任せした方が上手くいきますね。あまり自分の趣味・嗜好にこだわり過ぎないほうがいいと思います。

 

作ってもらう側はワガママを言いたくなりがちですが、サルトはその人の体型や着ている服を見て仕立てるので、少なくとも一着目はお任せしたほうがいい。春のこういうシーンで着たいんだ、みたいなことだけ伝えるといいです。ディテールにとらわれて注文すると失敗しがちです。

 

 

―ちなみに今、太田さんご自身がオーダーするとしたら、どんなものにしますか?

 

太田 春夏ものでしたら、明るいベージュのコットンスーツをシワを出して楽しみながら着たいかな。秋冬ものでしたら白黒のハウンズトゥースのジャケットかスーツです。タイドアップするのでなく、タートルネックニットを合わせて遊びのスーツとして楽しみたいですね。年を重ねてきて、少しだらしなく着たいというのかな。イタリアの大人の男みたいに、女の人に貴方は私がいないと駄目なのね、とか言ってもらえるようなおっさんになりたいんです。まぁ、決してなれないんですけど(笑)。

 

 

―分かる気がします。このアイテムはこうじゃなきゃならない、といった譲れないこだわりはありますか?

 

太田 そうですね、一般的にはネクタイですとストライプと小紋とソリッドの3本軸になりますよね、でも私はドットが好きなんです。ピンドットはフォーマル感が強くなるので皆さんあまり締めないようですが、ドットでもランダムなものや手描き風になるとまた見え方が変わってきます。そういったドットをコットンスーツに合わせるのがカッコいいな、と思います。それとプリントタイを好んで愛用しているのですが、ネクタイって元々はスカーフじゃないですか。だからネクタイが風になびく感じが好きなんです。なので軽やかな作りのネクタイが多いですね。

 

あとはサイドアジャスター仕様のパンツを好んで穿いています。それと、普通のスーツにトレンドの靴は要らない、と思っています。靴が目立って独り歩きしているようなのは合わないですよね。足元はやっぱりエドワード グリーンやジョン ロブがいいかな。

 

 

―太田さんは仕事でたくさんの海外の方にお会いしていますが、何か面白いエピソードはありますか?

 

太田 10年くらい前になりますが、雑誌『ブルータス』の企画で私がアントニオ・リヴェラーノさんの家に1泊する機会があったんです。

 

ちょうどピッティの後、そのままフィレンツェに留まってアントニオさんの家に泊まる予定だったのですが、鴨志田に「アントニオさんの家に泊まるのに寝間着は持ってきたのか?」と聞かれたんです。

 

「寝間着ですか?」と聞き返すと、鴨志田が「バカ、怒られるぞ、アントニオさんに。スウェットで寝ていたら、アントニオさんのことだから怒るに決まってるぞ。どこかで買ってから行ったほうがいい。アントニオさんはきっと帽子もかぶっているぞ」と言われたんです。

 

で、パジャマを買って行ったのですが、アントニオさんはパジャマでなくスウェットを着ていました(笑)。家はフィレンツェの郊外にあって冬で寒かったというのもありますし、それでも実際はとてもお洒落に見えましたけど。

 

―ははは、鴨志田さんも巻き込んでの秀逸なコントになっていますね!

 

その晩はアントニオさんがご飯をふるまってくださったのですが、黒かパープルのタートルネックニットにチェックのウールパンツを穿いてエプロンをしていました。家の中でもお洒落できるって素敵だなぁって思いましたね。寝るときはスウェットというのがギャップがあって面白いんですけどね(笑)。

 

 

―最高ですね! 自分もいちどご自宅に伺ったことがありますが、ワードローブは本当に素敵でした。

 

太田 アントニオさんのことはずっとリスペクトし、常に大好きですが、実はイタリア人のことが嫌いだった時期がありました。ルーズだし、言ったことを守らない、納期を守らない。でも自分が年を重ねてきたら、彼らのそれを許容できるようになったんです。ダメなイタリア人が可愛いく思えてきたというか(笑)。みんな子どもじゃないですか。どこか洒落がきいていて、面白いですもんね。

 

―イタリア人に対して神経質になっていたら、キリがないですからね(笑)。

 

 

 

―ところで太田さんはフライフィッシングをされていますが、それがファッションへ影響を与えることはありますか?

 

太田 釣りをするときはハイスペックなものを身につけることが多いんです。たまにゆったりと釣りをしたいときにはフィルソンを着たり、帽子もキャップではなくフェルト帽をかぶって、いつもならスニーカーのところをダナーのブーツを履いたりして、スタイルから楽しむときもあります。

 

フライフィッシングは英国流れの人とアメリカ流れの人と分かれるんです。英国でフライをやるとバトラーがいて、彼らが川を手入れしているんですよね。小屋には釣り道具がたくさんあって、今日はこの毛鉤を使って、あそこへ向かって投げて、と指示までしてくれる。

 

自分たちは普通、川の中にガンガン入っていくんですけどね。英国の人はツイードのジャケットを着て、ネクタイを締めて、さらに長靴を履いていて、川に落ちたらどうするんだろう? という格好をしているんですよね。でも、これは紳士の嗜みである、ということなんです。服の成り立ちだとか、なぜこういう作りになっているのか、などをこういった背景から知ることができますね。

 

 

―古着は今もお好きですか?

 

太田 古着はきれいめに合わせるのが好きです。ウールのパンツにカバーオールだったり、古着のジーンズのときはローファーを合わせたり。全身の中に1点取り入れるくらいの感じでしょうか。

 

 

―今日はいろいろ愛用の私物をお持ちいただいたのですが、見せていただけますか。

 

太田 左から、エドワードグリーンのネイビーのベルベットのスリッポンで、これにスーツを合わせるのが好きです。ジョン ロブの「ロペス」、スピーゴラのキャップトウ、右のボードイン&ランジは表革とスウエードのコンビです。

 

 

ネクタイはドットが好きです。左からフラテッリ ルイージ、リヴェラーノ&リヴェラーノ、エルメス、マロ、マリアーノ ルビナッチ。

 

 

シャツはタブカラーが好きですね。左のチェックと白×黒のストライプがルイジ ボレッリ、赤いストライプはアンナ マトゥオッツォ、ブルーのストライプは100ハンズです。

 

 

サッカーのザッケローニ監督が試合のときにシンプルなチェスターコートを着ているのを見ていいなと思い、リヴェラーノ&リヴェラーノで97年に仕立てた1着です。

 

 

昨年、リヴェラーノ&リヴェラーノで仕立てたダブルのスーツです。生地はゼニアのフランネル。正統派でありながら、細長く見える一着です。

 

 

クラッチバッグ、財布、キーケース、カードケースはすべてベラーゴで揃えています。機能的で価格も良心的。デザインもシンプルでありながらきちんと今の雰囲気になっているところが気に入っています。

 

 

バブアーの「スペイ」はデッドストックを手に入れました。大切にしていてまだ1度も着ていません。いつかフライフィッシングのときに着たいなと思っています。

 

 

フィルソンのアウターは、こちらもフライフィッシング用に購入した古着です。

 

 

 

ロンドンで購入した、70年代のアバクロンビー&フィッチのサファリジャケットです。

 

 

名古屋で購入した古着のフィールドジャケットは、ボディガードというブランドのものです。

 

20歳のときにリアルマッコイズで購入したカバーオール。30年選手!です。

 

 

 

―最後に今日着ている服を教えてください。

 

太田 サージウールのスーツは先日仕上がったばかりのダルクオーレのものです。パンツはワンプリーツのベルトレス、ハイウエストにしています。テーマは参観日に着て行くスーツです。でも参観日にこれを着ていったら、誰もスーツを着ていませんでしたね。子どもの参観日なのにTシャツ短パンで着ている方も多くて、逆に目立ってしまいました。

 

シャツはアヴィーノのス ミズーラで、イニシャルは同系色であまり目立たないように入れています。

 

 

ネクタイはウルトゥラーレ。ノットは小さ目が好きですね。

 

 

カイマンの靴はカルミナです。ホーズはユナイテッドアローズのオリジナルで、これが脚にまとわりつかなくて秀逸なんです。

 

 

時計は先ほど紹介しましたパテック フィリップです。

 

 

リングは友人に作ってもらいました。ブレスレットは15年ほど前に私のオリジナルのジュエリーをやろうよ、とメーカーの方に言われて作ったものです。当初は紐ブレスだったのですが、ホワイトゴールドに替えました。ブランド名はHIROです(笑)。カフリンクスはアンナ・マトゥオッツォ。黒蝶貝にジルコニアが入っています。

 

ーいろいろ楽しいお話をありがとうございました!

 

 

 

Suit  Sartoria Dalcuore

 

Shirt  Avino Laboratorio Napoletano

 

Tie Ulturale

 

Shoes Carmina

 

Socks United Arrows

 

Watch Patek Philippe

 

Pocket Square Masaki Matsushima Paris

 

 

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